お読みください
とても素敵なことになるはずだったのに、どうしてもいろんなことをクリアにすることができなくてすれ違いになったことがありました。
しょうがないことは分かっていたけれど、それはとても残念なことで、その空間を共有できなかったことも悲しくて。
けれど、後になって、月華が本当にぎりぎり直前まで信じて待ち続けることができれば、すれ違うことなく執事の隣でその空間を共有できていたことが分かりました。
とてもとても、ショックでした。
しょうがないことは分かっていたけれど、それはとても残念なことで、その空間を共有できなかったことも悲しくて。
けれど、後になって、月華が本当にぎりぎり直前まで信じて待ち続けることができれば、すれ違うことなく執事の隣でその空間を共有できていたことが分かりました。
とてもとても、ショックでした。
言い訳をすれば、待ち続けることをしなかったのは、月華が待つことによって、執事に不要な負担を掛け続けたくはなかったのです。
そして後一つ、今までの執事の行動パターンから言って、そこまでぎりぎりの努力はしてくれないのだろうなという読みもあったのです。
(念のため補足、そこまでの努力をしないというのは、一つにリスク管理の問題です。あまりにも努力をしてしまうと、本来の表の世界に何らかの影響が出てしまい、関係が露見する恐れがあります。そのようなことになるぐらいなら、必要以上の努力をしないということなのです。)
けれど、
昨年夏と秋、そして年末のごたごたでの月華のイロイロなお小言をきちんと消化してくれていた執事は、表の世界に影響を及ぼすことなく間に合わせる努力をして、それを実らせてくれていたのです。
それに引き換え…
不要な負担を掛けない、とかキレイゴトを盾に取って、執事の努力はありえないと決め付けていたのです。えらそうにお小言を言っておきながら、その影響についてちっとも考えていなかったのです。
後になって、月華の以前のお小言を心に留め、だからどうしてもと思ったんです、と間に合ったいきさつを聞いて、なんというか頭を殴られたような衝撃を受けました。
そして、以前に執事が「叱られてうれしかったんです」といっていたその気持ち(参照)を納得しました。理解した/分かった、じゃなくて納得。体感。
もちろん、執事が月華を叱るなんてありえません。
けれど、相手の行動によって、はっと気がつかされたということなのです。きっと、あの時の執事が、月華の行動で「叱られたかも」と思ってはっと気づいたのと同じなんだと思います。
小言を言ったんなら、それがそういう方面への変化を期待して言ったのなら、次の機会のときには、その方面に変化していることを期待した対応を取らなければいけなかったということ。
今までえらそうなことばかり言っておきながら、小言を言うということの本質をちっとも分かっていなかったのだと分かりました。
あの空間を隣で共有できなかったのは本当に残念だったけれど、でもこんなに大事なことを気が付かせてくれたきっかけが、とても大事なことだったということ、それがとてもうれしいのです。
そう、結局うれしくなっちゃうんですね。残念という気持ちには変わりがないけれど。「叱られてうれしい」。執事がもったその感情と同じものを持てて、月華はある意味でとても幸せな主なんだと思います。
そしてね。来年がある「かも?」しれないから。
そのときには、ちゃんと今回の気付きを大事にします。もちろん、そのときに限らず、似たようなシチュエーションではすべて。
そして後一つ、今までの執事の行動パターンから言って、そこまでぎりぎりの努力はしてくれないのだろうなという読みもあったのです。
(念のため補足、そこまでの努力をしないというのは、一つにリスク管理の問題です。あまりにも努力をしてしまうと、本来の表の世界に何らかの影響が出てしまい、関係が露見する恐れがあります。そのようなことになるぐらいなら、必要以上の努力をしないということなのです。)
けれど、
昨年夏と秋、そして年末のごたごたでの月華のイロイロなお小言をきちんと消化してくれていた執事は、表の世界に影響を及ぼすことなく間に合わせる努力をして、それを実らせてくれていたのです。
それに引き換え…
不要な負担を掛けない、とかキレイゴトを盾に取って、執事の努力はありえないと決め付けていたのです。えらそうにお小言を言っておきながら、その影響についてちっとも考えていなかったのです。
後になって、月華の以前のお小言を心に留め、だからどうしてもと思ったんです、と間に合ったいきさつを聞いて、なんというか頭を殴られたような衝撃を受けました。
そして、以前に執事が「叱られてうれしかったんです」といっていたその気持ち(参照)を納得しました。理解した/分かった、じゃなくて納得。体感。
もちろん、執事が月華を叱るなんてありえません。
けれど、相手の行動によって、はっと気がつかされたということなのです。きっと、あの時の執事が、月華の行動で「叱られたかも」と思ってはっと気づいたのと同じなんだと思います。
小言を言ったんなら、それがそういう方面への変化を期待して言ったのなら、次の機会のときには、その方面に変化していることを期待した対応を取らなければいけなかったということ。
今までえらそうなことばかり言っておきながら、小言を言うということの本質をちっとも分かっていなかったのだと分かりました。
あの空間を隣で共有できなかったのは本当に残念だったけれど、でもこんなに大事なことを気が付かせてくれたきっかけが、とても大事なことだったということ、それがとてもうれしいのです。
そう、結局うれしくなっちゃうんですね。残念という気持ちには変わりがないけれど。「叱られてうれしい」。執事がもったその感情と同じものを持てて、月華はある意味でとても幸せな主なんだと思います。
そしてね。来年がある「かも?」しれないから。
そのときには、ちゃんと今回の気付きを大事にします。もちろん、そのときに限らず、似たようなシチュエーションではすべて。
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