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視界の転回、でいただいたコメントに触発されたエントリーです。
このエントリータイトルに疑問を持つ人はあまり居ないと思う。
そして、それを思い描く情景は、エプロン奴隷系、脚に対する奉仕、人によってはいわゆる人間便器なども含めるのかもしれない。
おそらく、女性に対して快楽を与える好意は含まれないはずだ。
今回のエントリーは、それって変じゃない?というかなり掟破りなエントリーです。S女性に対する強固な思い入れがある場合は、以下読まないことをお薦めしておきます。
このエントリータイトルに疑問を持つ人はあまり居ないと思う。
そして、それを思い描く情景は、エプロン奴隷系、脚に対する奉仕、人によってはいわゆる人間便器なども含めるのかもしれない。
おそらく、女性に対して快楽を与える好意は含まれないはずだ。
今回のエントリーは、それって変じゃない?というかなり掟破りなエントリーです。S女性に対する強固な思い入れがある場合は、以下読まないことをお薦めしておきます。
だいたい、SMという言葉の意味が広すぎるのも悪いと思うのですけれど、そもそも苦痛なことを与え与えられて性的興奮を得ること、であるはず。苦痛を与えたことにより興奮すれば、通常の性欲を満たされることを要求するのは、月華はなんら悪いことではないと考えます。
女ですから、下僕を責め苛んで興奮しても、受身の性的快楽を受けない限り体は達することはありません。そして、当然目の前の異性である下僕に、そのような行為を要求することはごく自然のこと。
と、言えるようになるまでに長い時間がかかりました。
やはり、受身の性的刺激を受けることは屈服であり、上位の者がそれに甘んじるのはどうかという概念から逃れられなかったのです。
それは、執事にとっても同じでした。
従う立場の自分が快楽を「与えて」よいのかと。
長い時間がかかりましたが、月華がきちんと自分のS性というものを意識してきちんと向き合った時間を過ごした結果、だんだん「あるべき姿」というのは夜空の星(綺麗だけれど意味がない)ものだと思うようになったのです。
月華は下僕が苦しむ姿を見て感じるし、下僕は月華が楽しげに苦痛を与える姿を求めている。その気持ちが高じて、互いの身体の本能や機能に即した形で快楽を求め合っても、気持ちがどこまでいっても苦痛を与えたい側ともらいたい側、主と従というものである以上、その行為自体には何の意味づけもないのだと。
まさに視点の転回だと思うのですが、「羞恥で辱めてやる」と思って陰毛をそり落とせばそれはS的行為となり、「やりにくい箇所のお手入れをさせていただきます」と思って陰毛をそり落とせばM的行為となる、ということです。
だから、
もしもM側の人が、S側の人との関係性の中で、M的な行為を体験させてあげたいと思ったとしたら、その気持ちはどこまでいってもM的なもので、M的な気持ちを持ったままS的な行為を施すことはできると思うのです。
どのような行為を想定して書かれたコメントなのか分からないので、とても観念的な話になってしまいますけれど…
にわかSになってS的な行為をするのではなく、どこまでいってもMのまま、Sの人にS的な行為をすることはきっと可能だと、月華は思うのです。
「してあげられたら」って気持ち、十分Mさんだと思います。
だって月華は間違っても「してあげられたら」とは執事には思いませんからね。
してみたら面白いかな、この行為はきっとツボだからしてみよう。
発想はこれしかないのですもの。
女ですから、下僕を責め苛んで興奮しても、受身の性的快楽を受けない限り体は達することはありません。そして、当然目の前の異性である下僕に、そのような行為を要求することはごく自然のこと。
と、言えるようになるまでに長い時間がかかりました。
やはり、受身の性的刺激を受けることは屈服であり、上位の者がそれに甘んじるのはどうかという概念から逃れられなかったのです。
それは、執事にとっても同じでした。
従う立場の自分が快楽を「与えて」よいのかと。
長い時間がかかりましたが、月華がきちんと自分のS性というものを意識してきちんと向き合った時間を過ごした結果、だんだん「あるべき姿」というのは夜空の星(綺麗だけれど意味がない)ものだと思うようになったのです。
月華は下僕が苦しむ姿を見て感じるし、下僕は月華が楽しげに苦痛を与える姿を求めている。その気持ちが高じて、互いの身体の本能や機能に即した形で快楽を求め合っても、気持ちがどこまでいっても苦痛を与えたい側ともらいたい側、主と従というものである以上、その行為自体には何の意味づけもないのだと。
まさに視点の転回だと思うのですが、「羞恥で辱めてやる」と思って陰毛をそり落とせばそれはS的行為となり、「やりにくい箇所のお手入れをさせていただきます」と思って陰毛をそり落とせばM的行為となる、ということです。
だから、
もしもM側の人が、S側の人との関係性の中で、M的な行為を体験させてあげたいと思ったとしたら、その気持ちはどこまでいってもM的なもので、M的な気持ちを持ったままS的な行為を施すことはできると思うのです。
どのような行為を想定して書かれたコメントなのか分からないので、とても観念的な話になってしまいますけれど…
にわかSになってS的な行為をするのではなく、どこまでいってもMのまま、Sの人にS的な行為をすることはきっと可能だと、月華は思うのです。
「してあげられたら」って気持ち、十分Mさんだと思います。
だって月華は間違っても「してあげられたら」とは執事には思いませんからね。
してみたら面白いかな、この行為はきっとツボだからしてみよう。
発想はこれしかないのですもの。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
月華さん。素敵な記事をありがとうございました。
このようなお考えを読むことができる(それもある意味私の投げかけにたいして応えて下さった意味合いもある)。
大げさな言い方ですけれど、なにかちょっと感動しました。
確かに、私の「してあげられたら」という気持ちは、M心から出たものなのでしょうね。
言語化されて初めてはっきり自覚しました。
十分Mである、と言われて、それもとても嬉しかった。
ただ、人の心はひといろではなく、私の中にも白の中にひとすじ刷かれた紅のように、ほんの少しのS心も混じっているような気もしています。
白に滲んでピンクになっていない、そこだけの赤です。
(たとえとしたら、白と黒かと思ったのですが、視覚的に綺麗なので白と赤にしてしまいました^^)
「あるべき姿は夜空の星」
この言葉がとても気に入りました。
あるべき姿については私もいろいろと悩むところもあるので、いつか記事にできたらと思います。
その時には、きっとこのフレーズを使わせていた頂くと思いますので、予めお許しくださいね。
また、お書きになるものを楽しみにしています。
このようなお考えを読むことができる(それもある意味私の投げかけにたいして応えて下さった意味合いもある)。
大げさな言い方ですけれど、なにかちょっと感動しました。
確かに、私の「してあげられたら」という気持ちは、M心から出たものなのでしょうね。
言語化されて初めてはっきり自覚しました。
十分Mである、と言われて、それもとても嬉しかった。
ただ、人の心はひといろではなく、私の中にも白の中にひとすじ刷かれた紅のように、ほんの少しのS心も混じっているような気もしています。
白に滲んでピンクになっていない、そこだけの赤です。
(たとえとしたら、白と黒かと思ったのですが、視覚的に綺麗なので白と赤にしてしまいました^^)
「あるべき姿は夜空の星」
この言葉がとても気に入りました。
あるべき姿については私もいろいろと悩むところもあるので、いつか記事にできたらと思います。
その時には、きっとこのフレーズを使わせていた頂くと思いますので、予めお許しくださいね。
また、お書きになるものを楽しみにしています。
思いを言葉にするのはどうしてこんなにも難しいのでしょうか・・・
カテゴライズされる事を嫌っているのにどこかに所属したい矛盾。いつもこんなところで立ち止まってしまっております。サディスティックな思いを持っていても決して残虐な行為には惹かれないこの中途半端な性癖を持て余しておりました。けれど、発露するべき相手が同じことを望んでいるならそれはそれでハッピーw1年でようやくここまで辿り付きました。節操のない女なだけなのじゃないかと思ってきた私がようやくここまで・・・という感じです♪
カテゴライズされる事を嫌っているのにどこかに所属したい矛盾。いつもこんなところで立ち止まってしまっております。サディスティックな思いを持っていても決して残虐な行為には惹かれないこの中途半端な性癖を持て余しておりました。けれど、発露するべき相手が同じことを望んでいるならそれはそれでハッピーw1年でようやくここまで辿り付きました。節操のない女なだけなのじゃないかと思ってきた私がようやくここまで・・・という感じです♪
いえいえ、ちょうどこのことについては書こうかな、どうしようかなと思っていたところでした。
ちょうど、背中を押してもらった感じです。
もちろん、人の心は一色ではありませんよね。そのことはわたしも伝えたかったのですが、わたしもうまく書けてないですね。また折を見て書いてみます。
ちょうど、背中を押してもらった感じです。
もちろん、人の心は一色ではありませんよね。そのことはわたしも伝えたかったのですが、わたしもうまく書けてないですね。また折を見て書いてみます。
カテゴライズされなければ根無し草の不安があり、カテゴライズされればその土地に縛り付けられる不満がある。難しいものですよね。
わたしも見方を変えれば単なる奔放な女、でおしまいです。けれど、こうなるのは執事に対してのみ。
わたしは、究極にはとっても残虐なことをしてみたいのですが、それはとても実行に移せることではなく、と結局中途半端に終わってます。でも、それで互いがハッピーなのだからいいのでしょうね。
…わたしはここまで来るのに数年以上かかりました…
わたしも見方を変えれば単なる奔放な女、でおしまいです。けれど、こうなるのは執事に対してのみ。
わたしは、究極にはとっても残虐なことをしてみたいのですが、それはとても実行に移せることではなく、と結局中途半端に終わってます。でも、それで互いがハッピーなのだからいいのでしょうね。
…わたしはここまで来るのに数年以上かかりました…
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更新楽しみにしていますね!!
良かったら遊びに来てください☆☆☆
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