お読みください
執事の体の下で執事から与えられる肉体の快楽に溺れていても、月華は絶対的に執事の主だし、その状態から執事にその事実を肉体に分からせる方法を知っている。
それは主観的なもので、はたから見たら分からないかもしれないけれど、主観以外は必要じゃないからそれでいいのだ。
と、いう「二人の主観の中での二人の上下」の視点の転回について、生涯で一番最初に触れたのは、現在一世風靡中?の「愛ルケ」の渡辺淳一氏の日経連載小説だ。
それは主観的なもので、はたから見たら分からないかもしれないけれど、主観以外は必要じゃないからそれでいいのだ。
と、いう「二人の主観の中での二人の上下」の視点の転回について、生涯で一番最初に触れたのは、現在一世風靡中?の「愛ルケ」の渡辺淳一氏の日経連載小説だ。
小学校高学年か中学校か…それぐらいの時期だったとおもうけど、たまたま家にあった日経新聞の連載小説にその描写はあった。
(日経は父が会社に持っていってしまうので、目に触れることはめったになかった。)
女性の陰毛を男性がそり落とすシーン、言ってしまえばそれだけだけど、そのシーンは「男が高貴な女性にうやうやしく大切な箇所の手入れをさせていただいていると見ることもできるし、女性が屈辱的なポーズを取らされて大事な部分の茂みを取り去られていると見ることもできる」というような描写で表現されていた。
幼いながら、既に「男性に性的行為を施されるということは、男性に屈服することだ」というステレオタイプな性的認識を持ち始めていた月華にとって、世界を180度転回させられたに等しかった。
同じ行為でも、視点を変えればそれは屈服じゃないんだ、と。
この衝撃が実際にきちんと実を結ぶのはずっとずっと後になる。
けれど、この衝撃がなかったらそもそも「性交渉」をよしとしなかった可能性もある。十代後半から二十代前半にかけて、どんな形ででも男性に屈服することを激しく嫌ったからだ(だから性的快楽を得ることがとても困難だった)。
どこかで、視点が違えば屈服にならない、というこの渡辺氏の描写が、性行為における逃げ道になっていた。
この衝撃を与えた作品は、一体なんだったのか…『うたかた』のような気もするが、初出の新聞社や時期が記憶に一致しておらず、なんだかあやしい。
人や出来事との出会いは思いもかけないつながりを見せるものだとおもう。あの時偶然に日経を読む気にならなければ、今もまだ「他人がどう言おうと、月華は執事の主」と断言するほどの自信はもてなかったかもしれないし、そもそも自らのS性に気が付くことすらなかったかもしれない。
そう思うと、結構恐ろしい。
(日経は父が会社に持っていってしまうので、目に触れることはめったになかった。)
女性の陰毛を男性がそり落とすシーン、言ってしまえばそれだけだけど、そのシーンは「男が高貴な女性にうやうやしく大切な箇所の手入れをさせていただいていると見ることもできるし、女性が屈辱的なポーズを取らされて大事な部分の茂みを取り去られていると見ることもできる」というような描写で表現されていた。
幼いながら、既に「男性に性的行為を施されるということは、男性に屈服することだ」というステレオタイプな性的認識を持ち始めていた月華にとって、世界を180度転回させられたに等しかった。
同じ行為でも、視点を変えればそれは屈服じゃないんだ、と。
この衝撃が実際にきちんと実を結ぶのはずっとずっと後になる。
けれど、この衝撃がなかったらそもそも「性交渉」をよしとしなかった可能性もある。十代後半から二十代前半にかけて、どんな形ででも男性に屈服することを激しく嫌ったからだ(だから性的快楽を得ることがとても困難だった)。
どこかで、視点が違えば屈服にならない、というこの渡辺氏の描写が、性行為における逃げ道になっていた。
この衝撃を与えた作品は、一体なんだったのか…『うたかた』のような気もするが、初出の新聞社や時期が記憶に一致しておらず、なんだかあやしい。
人や出来事との出会いは思いもかけないつながりを見せるものだとおもう。あの時偶然に日経を読む気にならなければ、今もまだ「他人がどう言おうと、月華は執事の主」と断言するほどの自信はもてなかったかもしれないし、そもそも自らのS性に気が付くことすらなかったかもしれない。
そう思うと、結構恐ろしい。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
はじめまして。
こちらにお邪魔しましたマロニエ氏の相方をしております、プラタナスと言います。
大変興味深く読ませていただきました。
おっしゃっていた渡辺淳一の小説は、私も読んだことがあります。
彼は複数の小説に比較的似たシーンを書くことがあるので、なんと言う作品だったかは分かりませんが。
で、感じたことは「そこに反応されるのか!?」ということ。
本を読んでいて、何事か気づかされる経験は多々ありますが、私はそこには反応しなかった・・
もともとにSをお持ちの方との視点の違いが面白かったです^^
最近Mにも目覚めつつあるように思う(本人は否定していますが)パートナーのために、してあげられたら、と思っていましたが、やはりにわかSでは、無理なんだろうな、と反省いたしました^^
こちらにお邪魔しましたマロニエ氏の相方をしております、プラタナスと言います。
大変興味深く読ませていただきました。
おっしゃっていた渡辺淳一の小説は、私も読んだことがあります。
彼は複数の小説に比較的似たシーンを書くことがあるので、なんと言う作品だったかは分かりませんが。
で、感じたことは「そこに反応されるのか!?」ということ。
本を読んでいて、何事か気づかされる経験は多々ありますが、私はそこには反応しなかった・・
もともとにSをお持ちの方との視点の違いが面白かったです^^
最近Mにも目覚めつつあるように思う(本人は否定していますが)パートナーのために、してあげられたら、と思っていましたが、やはりにわかSでは、無理なんだろうな、と反省いたしました^^
はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
そうですね、そこに反応するのか?!でしょう。Sでかつ、通常の女の快楽も欲しいってタイプじゃないと反応しない箇所でしょうねぇ。
ちゃんと記事にしようかな、とも思っていますが、Mだから常に責められ、Sだから常に責めるってことはないような気がする今日この頃です。…うーん。やっぱり近々記事にしますね。
そうですね、そこに反応するのか?!でしょう。Sでかつ、通常の女の快楽も欲しいってタイプじゃないと反応しない箇所でしょうねぇ。
ちゃんと記事にしようかな、とも思っていますが、Mだから常に責められ、Sだから常に責めるってことはないような気がする今日この頃です。…うーん。やっぱり近々記事にしますね。
□ Home □