お読みください
ふと。
このブログでは「下僕をもてた幸せ」を書き続けているから、婚外でも下僕がもてて幸せなのだ、と字義通りに解釈されていたら怖いな、と思ってしまった。
あまりそんな人は居ないとは思いますが…
今、執事と言う存在を持っていて、彼に与えてもらえる安定感は手放しがたいもので本当に幸せだ、というのは偽りのない事実です。
その幸せを恥じることはありません。誇りに思っています。
でも。
その幸せを悔やむこともまた、事実です。
これはもちろん、正しい関係ではないという事実もありますが、それ以前にいわゆる「ノーマル」では満足できない領域にはいらなければならない人、全員に程度の重さはあれあるものだと思います。
一歩踏み外す前に、必ず覚えていてください。
その幸せはノーマルでは絶対手に入らないものですが、手に入ったら知る必要のなかった辛さを味わうことになります。
このブログでは「下僕をもてた幸せ」を書き続けているから、婚外でも下僕がもてて幸せなのだ、と字義通りに解釈されていたら怖いな、と思ってしまった。
あまりそんな人は居ないとは思いますが…
今、執事と言う存在を持っていて、彼に与えてもらえる安定感は手放しがたいもので本当に幸せだ、というのは偽りのない事実です。
その幸せを恥じることはありません。誇りに思っています。
でも。
その幸せを悔やむこともまた、事実です。
これはもちろん、正しい関係ではないという事実もありますが、それ以前にいわゆる「ノーマル」では満足できない領域にはいらなければならない人、全員に程度の重さはあれあるものだと思います。
一歩踏み外す前に、必ず覚えていてください。
その幸せはノーマルでは絶対手に入らないものですが、手に入ったら知る必要のなかった辛さを味わうことになります。
月華は、必要以上に自分の関係を美化しないようにいろんなことしてます。
その一つが、不倫指弾サイトを巡ること。
そういうサイトなので、必ずといっていいほど不倫当事者の正当化と、不倫された当事者の不倫指弾の激論が散見されます。
読んでいて本当に思うのは、やっぱりどんな言い訳をしようとも婚外っていうのはそれだけでもう駄目だということ。
世間的にごくまっとうなこと、だけれど、当事者の片棒を担いでいると知らず知らずのうちに麻痺しているなと実感させられます。
そして。
こっち側にいながら言うのは変かもしれませんが、その激論、どう見ても不倫している側が圧倒的に分が悪い。
なぜかと言えば、やっぱり本人自身がその愛に疑問を持っている、後ろめたさを持っているから。それだけで、「だってそれが当たり前なんだもの」と言い切れる人の前では負けるんです。
こんなことを書くと本当にまっとうな方には怒られることは承知ですが、やってることの善悪を超越して、自分に自信があるかどうか。勝負はその一つに尽きています。
基本的にノーマルをそれていく人は、自分を含めて考えても、とてもセンシティブで細かいことに気が付いてしまう傾向にある気がします。
すくなくとも月華は、どうしても「それがそうである理由」を追求しないではいられないたちでした。
その結果、ほとんどの人が信じられる「正しい道」が信じきれない。
いや、それが「正しい道」であることは分かるけれど、その正しさの根拠を知らないと「それが正しい」と認めることができない。
ずっとずっと、その根拠を知らないことが自分に欠けていることだと思っていましたが、欠けていたのは「根拠はないけれど、みんなが正しいと思うことを正しいと信じられる」能力でした。
その信じ切る強さを持たないゆえに正しい道から外れたし、正しい道の人に負けるのだと思います。
正しい道しか歩いていなかったら知らなかったいろんなこと。
それらの多くは世界の真理で、きっと知らないよりは知っていたほうが豊かだったけれど、知らなくても生きてはいけました。
今の状態を誇りに思っていても悔やむことがあるのは、そういうことです。
一体何度、正しい道だけを信じられていればよかったかと思ったか。本当に数え切れませんし、そう思うことの辛さは表現できません。
ある意味で、正しい道から外れることはエデンの林檎を食べたことと同義です。
踏み越えるには、覚悟を持って臨んでください。
圧倒的な幸せと、身を切られる辛さが待っています。
けれど月華は、その状態こそが自分自身の幸福だと断言できるのです。
その一つが、不倫指弾サイトを巡ること。
そういうサイトなので、必ずといっていいほど不倫当事者の正当化と、不倫された当事者の不倫指弾の激論が散見されます。
読んでいて本当に思うのは、やっぱりどんな言い訳をしようとも婚外っていうのはそれだけでもう駄目だということ。
世間的にごくまっとうなこと、だけれど、当事者の片棒を担いでいると知らず知らずのうちに麻痺しているなと実感させられます。
そして。
こっち側にいながら言うのは変かもしれませんが、その激論、どう見ても不倫している側が圧倒的に分が悪い。
なぜかと言えば、やっぱり本人自身がその愛に疑問を持っている、後ろめたさを持っているから。それだけで、「だってそれが当たり前なんだもの」と言い切れる人の前では負けるんです。
こんなことを書くと本当にまっとうな方には怒られることは承知ですが、やってることの善悪を超越して、自分に自信があるかどうか。勝負はその一つに尽きています。
基本的にノーマルをそれていく人は、自分を含めて考えても、とてもセンシティブで細かいことに気が付いてしまう傾向にある気がします。
すくなくとも月華は、どうしても「それがそうである理由」を追求しないではいられないたちでした。
その結果、ほとんどの人が信じられる「正しい道」が信じきれない。
いや、それが「正しい道」であることは分かるけれど、その正しさの根拠を知らないと「それが正しい」と認めることができない。
ずっとずっと、その根拠を知らないことが自分に欠けていることだと思っていましたが、欠けていたのは「根拠はないけれど、みんなが正しいと思うことを正しいと信じられる」能力でした。
その信じ切る強さを持たないゆえに正しい道から外れたし、正しい道の人に負けるのだと思います。
正しい道しか歩いていなかったら知らなかったいろんなこと。
それらの多くは世界の真理で、きっと知らないよりは知っていたほうが豊かだったけれど、知らなくても生きてはいけました。
今の状態を誇りに思っていても悔やむことがあるのは、そういうことです。
一体何度、正しい道だけを信じられていればよかったかと思ったか。本当に数え切れませんし、そう思うことの辛さは表現できません。
ある意味で、正しい道から外れることはエデンの林檎を食べたことと同義です。
踏み越えるには、覚悟を持って臨んでください。
圧倒的な幸せと、身を切られる辛さが待っています。
けれど月華は、その状態こそが自分自身の幸福だと断言できるのです。
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