お読みください
「素直すぎ?」は、雅さんの疑問に答えているようで、答えていないような気がすると思いながらのアップでしたが、つけていただいたコメントを見て、想像通り答えていなかったなーということに気が付きました。
やはり、自分でもここはきっと伝わらないな、と思ったところは見事に伝わっていない感じで、むむむ…と思うと同時に、書いている最中のそういう感覚が実際と一致することに快感も覚えてみたりもするのです。
という、この「快感を覚える」というのは、本題への枕です。
月華はクリエイターにジャンルされます。クリエイターとして、「ここはきっと伝わらない」という作っている最中に感じる手ごたえと実際の反応が一致する、と言うことは実はとても重要なことです。
やはり、自分でもここはきっと伝わらないな、と思ったところは見事に伝わっていない感じで、むむむ…と思うと同時に、書いている最中のそういう感覚が実際と一致することに快感も覚えてみたりもするのです。
という、この「快感を覚える」というのは、本題への枕です。
月華はクリエイターにジャンルされます。クリエイターとして、「ここはきっと伝わらない」という作っている最中に感じる手ごたえと実際の反応が一致する、と言うことは実はとても重要なことです。
プライベートの中のプライベート、のようなこのブログを書く際にも、そんなふうにクリエイション魂として快感を感じるほど、どんな手段であれモノを作る、と言うことに月華は嗜癖しています。
この月華の特性が、「素直すぎ?」に書いた、月華と執事にとっての「Lunatic Garden」というブログの特殊性以上に問題になるんだと思います。
前回、「素直じゃないですよ」なんて書きましたが、一旦取り消しましょう。月華と執事の間では、たしかにこのブログに書かれていることは「素直」ではないのですが、それ以外の方から見れば素直なテキストでしょうね…
このブログには、「下僕を持ったシロウトS女」の心中をなるべく細かに書くことを目指しています。そういう意味では、たいそう気持に素直なテキストとするべきでしょう。
ですが、あまりにも事情が個人的過ぎたり、わがまますぎたり、へなちょこすぎると感じたことについては、意図のあるなしにかかわらず補足や書き換えを行います。
自己防衛の一種かもしれませんし、どこまでも分かりやすく伝えたいという「クリエイション魂」によるものかもしれません。両方の力かもしれません。
とにかく言えることは、素直に書いているように見えることでも、実は相当のフィクションが混ざっていることが多々ある、ということです。
つまり、たくさんの言葉を費やして気持を表現しているようで、実のところ肝心なところの気持は、捻じ曲げて隠していたり言えなかったりしているのです。これで?と突っ込まれちゃいますかね(笑)。
えぇ、これでも全く必要十分には気持を表現していないです。
執事は、このブログと毎日のメールと実際に会うときの月華と、という様々な情報から、このブログで捻じ曲げられてること、理想と思っていること、現実とのギャップ、そういういろんなことを見て、「今日のエントリーは本心とちょっと違うかも」とかいろいろ考える羽目に陥ります。
だから、第三者の目から見たらいたって素直なエントリーでも執事から見たらひねくれまくりのことがとても多いのです。
ということを、言いたかったのでした。
コメントを頂いて、この肝心のところを表現していなかったことに気がつきました。まだまだですね。
雅さんがつけてくださったコメントに、「痛い愛」という表現が出ていましたが、こんなことを言うのはとてもおこがましく失礼なのは承知の上ですが、分かるような気がします。
というのは、執事が月華のことをどう思うかということを想像すると、きっと似たようなことを思うのじゃないかなと推測できるからです。
執事は月華に対しては似たような感じで、月華の「苦しむ愛」を感じ取ってると思うのです。
(「痛い」のと「苦しむ」のの違いは、おそらく男女差に起因すると思うのです。一般的に、男性の怒りは外に向かい女性の怒りは中に向かう。その差が「痛い愛」と「苦しむ愛」の違いになってそうな気が?これはこれで、考えがはっきりすると一つのエントリーになりそうです)
何万語を費やしても結局コアの所を語らなければ、寡黙で何も語らない方とは「最終結果は同じ」です。
月華のように、主がいろんなことをいろんな手段で表現すると、従はその様々な表現からいろんなことを推察して、気をもむことになります。
雅さんのご主人様のように何も言わない方だと、従は言われない中でも状況とか表情とか機嫌などのちょっとの情報から類推して気をもむでしょう。
たとえば、執事と雅さんでは、主の気持ちを表現するタイプには雲泥の差があるよう見えますが、最終的に気をもんだり同調すると自分まで苦しくなったり…という点については、変わりないように思えます。
そして、推察や類推が外れて叱りを受けてしまうこともまた、同じなのです。
月華は、そのことを指して「気持ちを伝えてはいるけれども、素直ではない」と言ったのでした。
そして、愛がいびつなのは月華も同じです。月華の愛が素直だ、と感じていただけるとすれば、分かりやすくストレートに表現しようと言う「クリエイション魂」が報われたということで、(SMとか主従とかとは全く別の次元で)非常に喜ばしく思います。ありがとうございます。
死にそうになるまで傷つけた相手から愛されることで、最高の快感を得られると言う人間の愛が、まっとうなはずはない…という自覚がありますから。
ということで、コメントに頂いていた「主は月華さんのように、気持ちを素直に言葉にできるなら、あたしを虐めないかもしれない」という文章についてですが、言葉にできるならできたなりにやはり虐めるんじゃないかなぁ…というのが、言葉にしまくる主:月華の実感です。
ブログには意識して甘甘だったりすることしか書いていませんけど、書いていないところではひどいことやってますから。
「気持ちの表現」というのは、これは意外に訓練の問題なので、その気になりさえすれば誰にでもできることですが、Sであるということは訓練の問題ではないので、どこがどうであろうと、虐めたいから虐めるんだと思います。ただ、虐めるレベルとか手段は、人によっては変わるかもしれませんね。月華の仮説ですが。
この月華の特性が、「素直すぎ?」に書いた、月華と執事にとっての「Lunatic Garden」というブログの特殊性以上に問題になるんだと思います。
前回、「素直じゃないですよ」なんて書きましたが、一旦取り消しましょう。月華と執事の間では、たしかにこのブログに書かれていることは「素直」ではないのですが、それ以外の方から見れば素直なテキストでしょうね…
このブログには、「下僕を持ったシロウトS女」の心中をなるべく細かに書くことを目指しています。そういう意味では、たいそう気持に素直なテキストとするべきでしょう。
ですが、あまりにも事情が個人的過ぎたり、わがまますぎたり、へなちょこすぎると感じたことについては、意図のあるなしにかかわらず補足や書き換えを行います。
自己防衛の一種かもしれませんし、どこまでも分かりやすく伝えたいという「クリエイション魂」によるものかもしれません。両方の力かもしれません。
とにかく言えることは、素直に書いているように見えることでも、実は相当のフィクションが混ざっていることが多々ある、ということです。
つまり、たくさんの言葉を費やして気持を表現しているようで、実のところ肝心なところの気持は、捻じ曲げて隠していたり言えなかったりしているのです。これで?と突っ込まれちゃいますかね(笑)。
えぇ、これでも全く必要十分には気持を表現していないです。
執事は、このブログと毎日のメールと実際に会うときの月華と、という様々な情報から、このブログで捻じ曲げられてること、理想と思っていること、現実とのギャップ、そういういろんなことを見て、「今日のエントリーは本心とちょっと違うかも」とかいろいろ考える羽目に陥ります。
だから、第三者の目から見たらいたって素直なエントリーでも執事から見たらひねくれまくりのことがとても多いのです。
ということを、言いたかったのでした。
コメントを頂いて、この肝心のところを表現していなかったことに気がつきました。まだまだですね。
雅さんがつけてくださったコメントに、「痛い愛」という表現が出ていましたが、こんなことを言うのはとてもおこがましく失礼なのは承知の上ですが、分かるような気がします。
というのは、執事が月華のことをどう思うかということを想像すると、きっと似たようなことを思うのじゃないかなと推測できるからです。
執事は月華に対しては似たような感じで、月華の「苦しむ愛」を感じ取ってると思うのです。
(「痛い」のと「苦しむ」のの違いは、おそらく男女差に起因すると思うのです。一般的に、男性の怒りは外に向かい女性の怒りは中に向かう。その差が「痛い愛」と「苦しむ愛」の違いになってそうな気が?これはこれで、考えがはっきりすると一つのエントリーになりそうです)
何万語を費やしても結局コアの所を語らなければ、寡黙で何も語らない方とは「最終結果は同じ」です。
月華のように、主がいろんなことをいろんな手段で表現すると、従はその様々な表現からいろんなことを推察して、気をもむことになります。
雅さんのご主人様のように何も言わない方だと、従は言われない中でも状況とか表情とか機嫌などのちょっとの情報から類推して気をもむでしょう。
たとえば、執事と雅さんでは、主の気持ちを表現するタイプには雲泥の差があるよう見えますが、最終的に気をもんだり同調すると自分まで苦しくなったり…という点については、変わりないように思えます。
そして、推察や類推が外れて叱りを受けてしまうこともまた、同じなのです。
月華は、そのことを指して「気持ちを伝えてはいるけれども、素直ではない」と言ったのでした。
そして、愛がいびつなのは月華も同じです。月華の愛が素直だ、と感じていただけるとすれば、分かりやすくストレートに表現しようと言う「クリエイション魂」が報われたということで、(SMとか主従とかとは全く別の次元で)非常に喜ばしく思います。ありがとうございます。
死にそうになるまで傷つけた相手から愛されることで、最高の快感を得られると言う人間の愛が、まっとうなはずはない…という自覚がありますから。
ということで、コメントに頂いていた「主は月華さんのように、気持ちを素直に言葉にできるなら、あたしを虐めないかもしれない」という文章についてですが、言葉にできるならできたなりにやはり虐めるんじゃないかなぁ…というのが、言葉にしまくる主:月華の実感です。
ブログには意識して甘甘だったりすることしか書いていませんけど、書いていないところではひどいことやってますから。
「気持ちの表現」というのは、これは意外に訓練の問題なので、その気になりさえすれば誰にでもできることですが、Sであるということは訓練の問題ではないので、どこがどうであろうと、虐めたいから虐めるんだと思います。ただ、虐めるレベルとか手段は、人によっては変わるかもしれませんね。月華の仮説ですが。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
虐め度レベルの低い飼い主です(笑)私は以前反対側にいた人間ですが、いつもその主様と呼んでいた方の考えを延々ぐるぐると考え思い訳の分からないスパイラルに巻き込まれ苦しみました。
それ故、意識的にそういう意味での不安は与えないようにしていると思われます。会っている時には表情や声で考えている事の雰囲気は伝わりますが、平生はそうは参りませんので。
私のペットは嗜好は捻じ曲がっておりますが(笑)表現が素直なのでその素直さに引きずられているというのもあるかもしれません(苦笑)
それ故、意識的にそういう意味での不安は与えないようにしていると思われます。会っている時には表情や声で考えている事の雰囲気は伝わりますが、平生はそうは参りませんので。
私のペットは嗜好は捻じ曲がっておりますが(笑)表現が素直なのでその素直さに引きずられているというのもあるかもしれません(苦笑)
訳の分からないスパイラル、巻き込みたくないのに巻き込んでしまうのが、なんというか性(さが)なんです。
何回も何回も、今回こそは素直に!と思いつつできない…
いじめ度レベルは低いつもりでいましたが、実はたかいのでしょうか。
ということで、スパイラルを回避できるってことは、朋さん優しいんですね。うらやましいです。心理的にぐるぐるさせてもいいことないことは分かってるんですが…
何回も何回も、今回こそは素直に!と思いつつできない…
いじめ度レベルは低いつもりでいましたが、実はたかいのでしょうか。
ということで、スパイラルを回避できるってことは、朋さん優しいんですね。うらやましいです。心理的にぐるぐるさせてもいいことないことは分かってるんですが…
□ Home □