お読みください
イリーガルで、かつ、このような普通じゃない関係を構築しようとするならば、並々ならない覚悟が必要になると、今にしてようやく思う。
これほどの覚悟が必要だとわかっていたら、この関係に足を突っ込んだか??
正直言って、そんな自信は無いなぁとおもうほど、重くて冷たくて厳しい覚悟です。
これほどの覚悟が必要だとわかっていたら、この関係に足を突っ込んだか??
正直言って、そんな自信は無いなぁとおもうほど、重くて冷たくて厳しい覚悟です。
こういう関係を持っていながら何を言うのやら、と思われると思うのですが、こういう関係を持っているからこそ、「婚外の関係は自分を蝕むので、踏みとどまれるのなら踏みとどまるべき」と思います。
自己中心的な言い草かもしれません。
相手の家庭のこと、自分の家庭のこと、そういう大事な人たちに迷惑をかけるとか傷つけるから、じゃなくて、第一義に「自分を蝕むから」を持ってくるのですから。
多少のレトリックとして、まぁこういう関係に踏み込もうと考えられるような人が、「家庭のこと考えなさいよ」ということを言われてもあんまり抑止力にはならないよなーという、自分の経験も込みのものもあるにはありますが…(微妙に言い訳)。
ですが、世の中には、ひっそりはじまってひっそり終わる婚外の恋ってとてもたくさんあると思うのです。
誰にも知られず、誰も傷つかず、ある意味成功な婚外の恋が。
でも、成功ならハッピーか?
そうともいえないと思います。本人たちにしか分からない、婚外の恋が残した傷跡って言うのが必ずあると思います。こんなことなら我慢すればよかった。そう思うことは全員持ってると断言してもいいと思います。
「自分を蝕むからおやめなさい」というのは、そういうことです。婚外の関係でしか得られない幸せや悦びがあるのは分かります。でも、それと同じだけ自分を蝕まれるのです。
ですが、逆に言えば、そのように自分を蝕まれることに耐え切れる精神力があるのなら、どうぞその道をお進みなさい、ということでもあります。蝕まれるに値する何かは手に入ります。
でも、値する何かは幸せの総量として妥当か?
あくまでも「一般の感性で見れば」妥当ではないと思います。
よく、夫婦は「喜びは2倍、悲しみは半分」と言います。
婚外の場合は「喜びは2倍、悲しみは4倍」じゃないかと思います。
これにSMだの主従だののオプションが付いてきたら「喜びは2倍、悲しみは8倍、16倍…」です。
大げさかもしれませんが、その覚悟は必要です。
けれど「2倍の喜び」の質を考えた場合、実質の量としての「4倍」に十分相当する、ということもあると思います。だから、総量としては見合わなくても、トータルで考えると「喜びと悲しみはプラスマイナスプラス」と思えるのですよね(でも、そんな理屈は一般には通じないこともまた、十分肝に銘じるべきです)。
どんなに悲しんでもどんなに骨身を削っても、この「スペシャルな2倍」の喜びがないとダメなんだ。
道しるべのない大海原で溺れてひどい目にあったり、回りに迷惑をかけたりしないためには、そういうものすごい自制心とつめたい覚悟が必要、だと思います。
その覚悟、ちゃんとまだある?
自分に日々そう問い続けている毎日です。
自己中心的な言い草かもしれません。
相手の家庭のこと、自分の家庭のこと、そういう大事な人たちに迷惑をかけるとか傷つけるから、じゃなくて、第一義に「自分を蝕むから」を持ってくるのですから。
多少のレトリックとして、まぁこういう関係に踏み込もうと考えられるような人が、「家庭のこと考えなさいよ」ということを言われてもあんまり抑止力にはならないよなーという、自分の経験も込みのものもあるにはありますが…(微妙に言い訳)。
ですが、世の中には、ひっそりはじまってひっそり終わる婚外の恋ってとてもたくさんあると思うのです。
誰にも知られず、誰も傷つかず、ある意味成功な婚外の恋が。
でも、成功ならハッピーか?
そうともいえないと思います。本人たちにしか分からない、婚外の恋が残した傷跡って言うのが必ずあると思います。こんなことなら我慢すればよかった。そう思うことは全員持ってると断言してもいいと思います。
「自分を蝕むからおやめなさい」というのは、そういうことです。婚外の関係でしか得られない幸せや悦びがあるのは分かります。でも、それと同じだけ自分を蝕まれるのです。
ですが、逆に言えば、そのように自分を蝕まれることに耐え切れる精神力があるのなら、どうぞその道をお進みなさい、ということでもあります。蝕まれるに値する何かは手に入ります。
でも、値する何かは幸せの総量として妥当か?
あくまでも「一般の感性で見れば」妥当ではないと思います。
よく、夫婦は「喜びは2倍、悲しみは半分」と言います。
婚外の場合は「喜びは2倍、悲しみは4倍」じゃないかと思います。
これにSMだの主従だののオプションが付いてきたら「喜びは2倍、悲しみは8倍、16倍…」です。
大げさかもしれませんが、その覚悟は必要です。
けれど「2倍の喜び」の質を考えた場合、実質の量としての「4倍」に十分相当する、ということもあると思います。だから、総量としては見合わなくても、トータルで考えると「喜びと悲しみはプラスマイナスプラス」と思えるのですよね(でも、そんな理屈は一般には通じないこともまた、十分肝に銘じるべきです)。
どんなに悲しんでもどんなに骨身を削っても、この「スペシャルな2倍」の喜びがないとダメなんだ。
道しるべのない大海原で溺れてひどい目にあったり、回りに迷惑をかけたりしないためには、そういうものすごい自制心とつめたい覚悟が必要、だと思います。
その覚悟、ちゃんとまだある?
自分に日々そう問い続けている毎日です。
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