お読みください
前回のエントリーにて、M女ノ朝、M女ノ夜のエントリーについてコメントさせていただいたところ、雅さんにもコメントを返していただいていました。どうもありがとうございました。
雅さんがおっしゃるように、月華も一般論についてはM男性よりM女性の言葉の方がよく響きます。ここにつづられている文章の理解度は、S女性、M女性、S男性、M男性の順位高いのではないかと思うほどです。
関係性の中で悩んだりすることの相違点というのは、嗜好の差ではなく性別の差によって生まれるのではないかという疑いをずっと持っていたのですが、だんだんその点について実例が集まってきているなーという実感です。
雅さん、コメントどうもありがとうございました。
さて、
前回のエントリー、ある意味で唐突に現れた開き直り宣言にも読めることに今更ながら気が付きました。
月華の中では、今年の夏ぐらいから持ち続けていた疑問について悩み続け、ようやく答えが見えた!って話なんですが、よく考えればそのエントリーはこのブログにはない。クローズ制のほうにしか書いていないので、事情を知らない人が圧倒的。これはだめじゃん、ってことで、ちょっと補足します。
雅さんがおっしゃるように、月華も一般論についてはM男性よりM女性の言葉の方がよく響きます。ここにつづられている文章の理解度は、S女性、M女性、S男性、M男性の順位高いのではないかと思うほどです。
関係性の中で悩んだりすることの相違点というのは、嗜好の差ではなく性別の差によって生まれるのではないかという疑いをずっと持っていたのですが、だんだんその点について実例が集まってきているなーという実感です。
雅さん、コメントどうもありがとうございました。
さて、
前回のエントリー、ある意味で唐突に現れた開き直り宣言にも読めることに今更ながら気が付きました。
月華の中では、今年の夏ぐらいから持ち続けていた疑問について悩み続け、ようやく答えが見えた!って話なんですが、よく考えればそのエントリーはこのブログにはない。クローズ制のほうにしか書いていないので、事情を知らない人が圧倒的。これはだめじゃん、ってことで、ちょっと補足します。
夏ごろ、「真にSMを極めたければ執事との間に余計な感情を入れてはいけないんじゃないか?」という疑問を持ってしまい、そのことについてクローズ制ブログに縷々書き連ね、たくさんの反響を頂いたことがありました。
当時、「お前の気持ちなど知ったことではない」と言い放てる強さがなく、愛情を持ってしまうこととSとしての厳しい責めを加えることのあいだに矛盾を感じずにはいられなくなってました。
とことん執事を苦しめたいという欲求を持っていつつも、他方で現実のしがらみを背負う執事のことを思えば手が緩んでしまう力を持つ愛情も持っている。真にサディスティックであることを望まれているとすれば、今の自分のあり方は執事にとって不満なのではないか。
そう思い、本当に色々悩んだものです。
結局、愛情を持っていてもSMはありということは理解はできても体感はできず、引きずるだけだったのですが、今ならはっきり両立すると言いえます。
前々回ぐらいのエントリーではわたしははっきり執事を愛していると書いています。いくらその翌日に「お前の気持ちなど知ったことではない」という境地に達したからとはいえ、すぐになくなるような薄っぺらい愛情ではありません。
つまり、愛情を維持したまま、「知ったことではない」という冷たさも持ち合わすことができるようになったのです。
わたしがそこまで冷たいことを言い放てなかったのは、S女性の月華にとっても、恐怖と見栄のせいでした。主、とえらそうなことを言っていても執事あっての「月華という主」なのですから、本当に「お前のこ気持ちなど知ったことではない」と言い放ったとき、執事に「Sとは思ってましたがそんなに冷たい人だとは思っていませんでした」とがっかりされたり、心底恐怖されたり、そういうことを避けたいと言う無意識があったのだと思う。
当時は本質が分からなくて、恐怖と見栄を愛情にすり替えてしまっていて、そこが悩みの元になっていたのだとはっきり分かる。
主として、どこまでいっても「お前の気持ちなど知ったことではない」なのだ。もしそれで幻滅するかしないかは、問題じゃない。幻滅しないから付いていきますでも、幻滅してても付いてきますでもどちらでもいい、過程は気にしない、単に主として求めることは「それでもお前は月華に付いてきますか?」という結果のみなのだ。
むかしは結果のみを見つめる強さがなく、その強さをもてない理由を愛情を持ったことに求めていた。
確かに、そこまで追い詰めないのも愛情のひとつなのかもしれない。けれど、本質から逃げておいて何が愛情なのか。
愛情は、現実の表世界にこのような裏世界を決して見せない努力と強さのことであって、一旦裏の世界に入ったときに弱腰になってしまうこととは別物なのだ。
月華は、裏の世界で執事が思い切りそのM性をさらけ出せるために、さまざまな努力をする。その点において「お前の気持ちなど知ったことではない」という視点はない。むしろ、彼がどう思い何を考えるのか、そればかり必死になって想像する。その点は、普通のノーマルの恋する女と変わらない。そして、その気持ちが「愛情」である。理由がM性の解放のためというのは、一般からみたら変だけど。
けれど、一旦裏の世界に入れば、そこは以前の月華が「それがSMのスタンダードじゃないか」と疑っていた通り、愛情などなく、平然と「お前の気持ちなど知ったことではない」と言い放てる冷たさを持つというべきなのではないだろうか。
文脈上、裏と表をすっぱり分けて書いてみたけれど、実際には表の生活のときにふっと裏がまぎれることもあれば、裏で思い切り鞭打っていても「見えるところを打ってはいけない」という表的な規制がかかることもある。そこは実際には絡み合い混沌としてはいるけれど、執事に足して愛情を持つことと、知らないと言い切れる冷たさを持つ、というのは同居しうる、というのが今の実感です。
当時、「お前の気持ちなど知ったことではない」と言い放てる強さがなく、愛情を持ってしまうこととSとしての厳しい責めを加えることのあいだに矛盾を感じずにはいられなくなってました。
とことん執事を苦しめたいという欲求を持っていつつも、他方で現実のしがらみを背負う執事のことを思えば手が緩んでしまう力を持つ愛情も持っている。真にサディスティックであることを望まれているとすれば、今の自分のあり方は執事にとって不満なのではないか。
そう思い、本当に色々悩んだものです。
結局、愛情を持っていてもSMはありということは理解はできても体感はできず、引きずるだけだったのですが、今ならはっきり両立すると言いえます。
前々回ぐらいのエントリーではわたしははっきり執事を愛していると書いています。いくらその翌日に「お前の気持ちなど知ったことではない」という境地に達したからとはいえ、すぐになくなるような薄っぺらい愛情ではありません。
つまり、愛情を維持したまま、「知ったことではない」という冷たさも持ち合わすことができるようになったのです。
わたしがそこまで冷たいことを言い放てなかったのは、S女性の月華にとっても、恐怖と見栄のせいでした。主、とえらそうなことを言っていても執事あっての「月華という主」なのですから、本当に「お前のこ気持ちなど知ったことではない」と言い放ったとき、執事に「Sとは思ってましたがそんなに冷たい人だとは思っていませんでした」とがっかりされたり、心底恐怖されたり、そういうことを避けたいと言う無意識があったのだと思う。
当時は本質が分からなくて、恐怖と見栄を愛情にすり替えてしまっていて、そこが悩みの元になっていたのだとはっきり分かる。
主として、どこまでいっても「お前の気持ちなど知ったことではない」なのだ。もしそれで幻滅するかしないかは、問題じゃない。幻滅しないから付いていきますでも、幻滅してても付いてきますでもどちらでもいい、過程は気にしない、単に主として求めることは「それでもお前は月華に付いてきますか?」という結果のみなのだ。
むかしは結果のみを見つめる強さがなく、その強さをもてない理由を愛情を持ったことに求めていた。
確かに、そこまで追い詰めないのも愛情のひとつなのかもしれない。けれど、本質から逃げておいて何が愛情なのか。
愛情は、現実の表世界にこのような裏世界を決して見せない努力と強さのことであって、一旦裏の世界に入ったときに弱腰になってしまうこととは別物なのだ。
月華は、裏の世界で執事が思い切りそのM性をさらけ出せるために、さまざまな努力をする。その点において「お前の気持ちなど知ったことではない」という視点はない。むしろ、彼がどう思い何を考えるのか、そればかり必死になって想像する。その点は、普通のノーマルの恋する女と変わらない。そして、その気持ちが「愛情」である。理由がM性の解放のためというのは、一般からみたら変だけど。
けれど、一旦裏の世界に入れば、そこは以前の月華が「それがSMのスタンダードじゃないか」と疑っていた通り、愛情などなく、平然と「お前の気持ちなど知ったことではない」と言い放てる冷たさを持つというべきなのではないだろうか。
文脈上、裏と表をすっぱり分けて書いてみたけれど、実際には表の生活のときにふっと裏がまぎれることもあれば、裏で思い切り鞭打っていても「見えるところを打ってはいけない」という表的な規制がかかることもある。そこは実際には絡み合い混沌としてはいるけれど、執事に足して愛情を持つことと、知らないと言い切れる冷たさを持つ、というのは同居しうる、というのが今の実感です。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
こんにちは、お邪魔致します。
やっぱり、S女性の文章はわかりやすい(胸に響きやすい)です。
で、愛情と突き放しは、同居できると、あたしも思います。
受け側からすれば、愛情の表現は、突き放されても突き放されてもついていくことになるわけで・・それは確かに、苦しかったりしますが・・逆に強い信頼を感じたりもします。
そもそもそれがないと、成り立ちませんし。(一般的にはどうかわかりませんが、信頼を深めるために、主はあたしを突き放すのでは?と感じたりすることがあります)
純粋なSM(だけ)を行った場合、突き放しという行為すら受け側にとっては「元々求めている物」になるわけですから、「乗り越える」という感情は不要ですよね。苦しくないし、嬉しいわけですし^^;
かえって愛情と同居している方が「楽しめる」と、今はマゾヒスティックに考えたりしています。
やっぱり、S女性の文章はわかりやすい(胸に響きやすい)です。
で、愛情と突き放しは、同居できると、あたしも思います。
受け側からすれば、愛情の表現は、突き放されても突き放されてもついていくことになるわけで・・それは確かに、苦しかったりしますが・・逆に強い信頼を感じたりもします。
そもそもそれがないと、成り立ちませんし。(一般的にはどうかわかりませんが、信頼を深めるために、主はあたしを突き放すのでは?と感じたりすることがあります)
純粋なSM(だけ)を行った場合、突き放しという行為すら受け側にとっては「元々求めている物」になるわけですから、「乗り越える」という感情は不要ですよね。苦しくないし、嬉しいわけですし^^;
かえって愛情と同居している方が「楽しめる」と、今はマゾヒスティックに考えたりしています。
こちらへの御訪問ありがとうございます!
なんか単なる愚痴垂れ流しテキストでお恥ずかしい限りですが。
>かえって愛情と同居している方が「楽しめる」
なるほど。そういう考え方ありますね!目からウロコでした。
その考え方を頂いて、これからの役に立てたいと思います。
わたしも雅さんのブログは胸によく響いています。というか、わたしのようなヘタレ主としてはもう尊敬するほどの強さだと思うのです。受け入れる、と覚悟を決めちゃう強さと潔さ見習いたいなと思っているところです。
なんか単なる愚痴垂れ流しテキストでお恥ずかしい限りですが。
>かえって愛情と同居している方が「楽しめる」
なるほど。そういう考え方ありますね!目からウロコでした。
その考え方を頂いて、これからの役に立てたいと思います。
わたしも雅さんのブログは胸によく響いています。というか、わたしのようなヘタレ主としてはもう尊敬するほどの強さだと思うのです。受け入れる、と覚悟を決めちゃう強さと潔さ見習いたいなと思っているところです。
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