お読みください
色気、ってなんなんでしょうね。
昔から、女友達には「色っぽい」とよく言われるのですが、それが実際男性に正しく作用したことがありませんorz。
女性から見た色気と男性から見た色気とは違う、単純にそういうことなんでしょうが、しかし「色っぽいから色事には強いだろう」と相談を持ちかけるだけに終わってしまう身としては(実際の色事は少ないのに!)納得いかない日々です。
これから忘年会シーズン、忘年会にかこつけた友だち飲み会では、またそーいう相談がくるのかなー(毎年定番)と思うと、お酒は好きだけど微妙に青息吐息です。
もうそろそろ身の振り方が決まり、恋愛ゴトの相談が減ってきてもいい歳頃なのですが、なぜか結婚しても尽きない恋愛の悩み。というより、「愛の悩み」と言うべきなんでしょうか。人の欲望とは尽きないものです。
欲望が尽きないとは、月華が本当は一番言ってはいけないんですよね。今の立場ではあるまじき秘め事を抱え、関係性のあり方に苦悩しているのですから。
でも敢えて「人の欲望とは尽きない」と言うのは、今の世の中の倫理観に照らし合わせて正しい愛しかもっていなくても、それでも尽きない悩みがあるって事なのです。月華のような番外編の悩みは、苦悩は苦悩ですが、堂々と苦悩と言ってはいけないし、苦悩して当たり前という自覚はあります。ここに書くのは、まぁ番外なのであしからず。
人を愛することが何故苦しみに繋がるのか。
倫理的に正しい愛を貫く人たちが苦しむことがあまりにも多い現実を見て、疑問に思っていたことです。
月華のような立場の人間が苦しむのは、倫理的には正しくないからしょうがない、と規定するなら倫理的に正しい愛が苦しみをもたらすのはおかしいのでは、と。
その答えを、この数ヶ月の逡巡の中で見つけました。
そうです。「特定個人を愛すること」は、苦しみなのです。
それが倫理的に正しかろうと、なんだろうと。
昔から、女友達には「色っぽい」とよく言われるのですが、それが実際男性に正しく作用したことがありませんorz。
女性から見た色気と男性から見た色気とは違う、単純にそういうことなんでしょうが、しかし「色っぽいから色事には強いだろう」と相談を持ちかけるだけに終わってしまう身としては(実際の色事は少ないのに!)納得いかない日々です。
これから忘年会シーズン、忘年会にかこつけた友だち飲み会では、またそーいう相談がくるのかなー(毎年定番)と思うと、お酒は好きだけど微妙に青息吐息です。
もうそろそろ身の振り方が決まり、恋愛ゴトの相談が減ってきてもいい歳頃なのですが、なぜか結婚しても尽きない恋愛の悩み。というより、「愛の悩み」と言うべきなんでしょうか。人の欲望とは尽きないものです。
欲望が尽きないとは、月華が本当は一番言ってはいけないんですよね。今の立場ではあるまじき秘め事を抱え、関係性のあり方に苦悩しているのですから。
でも敢えて「人の欲望とは尽きない」と言うのは、今の世の中の倫理観に照らし合わせて正しい愛しかもっていなくても、それでも尽きない悩みがあるって事なのです。月華のような番外編の悩みは、苦悩は苦悩ですが、堂々と苦悩と言ってはいけないし、苦悩して当たり前という自覚はあります。ここに書くのは、まぁ番外なのであしからず。
人を愛することが何故苦しみに繋がるのか。
倫理的に正しい愛を貫く人たちが苦しむことがあまりにも多い現実を見て、疑問に思っていたことです。
月華のような立場の人間が苦しむのは、倫理的には正しくないからしょうがない、と規定するなら倫理的に正しい愛が苦しみをもたらすのはおかしいのでは、と。
その答えを、この数ヶ月の逡巡の中で見つけました。
そうです。「特定個人を愛すること」は、苦しみなのです。
それが倫理的に正しかろうと、なんだろうと。
ちょっとびっくりする答えかもしれませんね。
でも、やっぱりどうしてもそう思うのです。
ちょっと考えれば分かることでした。
たとえば、家人に対してなんの苦しみを覚えないのか?そんなことはありません。前回のエントリーにも書いたように、やはり愛する人からは認めてもらいたい、そういう欲求を消すことはできません。認めてもらいたい欲求を満たされないと、やはり苦しいです。愛が深ければ深いほど、苦しみも強いのです。
月華はつい数週間前まで、自分がこんなに苦しくてしょうがないのはこの関係が倫理的に正しくないせいだとずっと思ってきました。
正しくないから、苦しい。正しくないから、我慢しなければいけない。正しくないから、だからこそ我慢がきかない。どうしよう?どうしたらいい?単に、愛しているだけなのに。
一人で相当ぐるぐる苦しみまくってたのです。そして、多分に障害のある愛の悲劇のヒロインになって、自分に酔っていたのかもしれませんね。
もう本当に苦しすぎてどうしたらいいのか分からなくなり、表の日常生活にまで支障がでそうになったとき、ふっと憑き物が落ちたかのように「倫理的な正しさが問題じゃなくて、もう愛したこと自体が苦しいのだ」という文章が本当にぴかっと頭の中に浮かんだんですね。
月華は、人の宿命というものを信じています。それは宿命だから仕方が無いという消極的な信じ方でなく、それが宿命なら宿命に挑戦して学び取って人生を豊かにしたい、という信じ方です。
執事への愛を持ってしまったことが宿命だとしたら、こうやって苦しむのも宿命。だとすれば、執事との関係がどんなものであっても、仮に倫理的に正しいものであっても、確かに苦しむ形は変わってくるだろうけれど、絶対に苦しむはず。それが宿命なのだから。愛することが宿命で、愛することが苦しむことなら、もうそれはしょうがないのじゃないか。
そう思ったら愛の苦しみ自体はちっとも減りはしなかったけれど、自分の中に受け入れることができ、表の日常生活まで影響を及ぼしそうな苦しみは消えたのです。
苦しかったのは、執事への愛への苦しみはもちろんだけれども、それを自分できちんと受け止めることができなかったからなんだな、とようやく悟りました。
今も、苦しいです。
けれど、苦しみを受け入れることができたというのは本当に果報者なのです。仏教的な話で申し訳ないのですが、苦しみはあるがままに受け入れること、という簡単な文章だけれどもどう実行すればわからないことを体得できるなんて、そうそうない幸せです。
今は本当に心から、この地に導いてくれた執事と執事に出会って愛せた宿命に感謝しているのです。繰り返しますが、苦しいは苦しいですよ。
以前から、月華は執事はかけがえがなくそれは未来永劫そうだ、と断言していましたが、今の境地から見たら口先だけだなぁなんて思います。
また、いろんな試練があって、そのたびごとに「あのときまだまだだったくせに」と思うことが度々あるとは思います。
ですが、今、少しステージが上がった段階でやはり言っておくべきだと思いました。
昔の月華の覚悟はまだまだちゃちかった。もっと深い意味で、深い気持ちで、執事は永遠に月華の執事だと、形はどう変わろうとそう断言する気持ちに変わりは無いと、改めてここに明言します。
でも、やっぱりどうしてもそう思うのです。
ちょっと考えれば分かることでした。
たとえば、家人に対してなんの苦しみを覚えないのか?そんなことはありません。前回のエントリーにも書いたように、やはり愛する人からは認めてもらいたい、そういう欲求を消すことはできません。認めてもらいたい欲求を満たされないと、やはり苦しいです。愛が深ければ深いほど、苦しみも強いのです。
月華はつい数週間前まで、自分がこんなに苦しくてしょうがないのはこの関係が倫理的に正しくないせいだとずっと思ってきました。
正しくないから、苦しい。正しくないから、我慢しなければいけない。正しくないから、だからこそ我慢がきかない。どうしよう?どうしたらいい?単に、愛しているだけなのに。
一人で相当ぐるぐる苦しみまくってたのです。そして、多分に障害のある愛の悲劇のヒロインになって、自分に酔っていたのかもしれませんね。
もう本当に苦しすぎてどうしたらいいのか分からなくなり、表の日常生活にまで支障がでそうになったとき、ふっと憑き物が落ちたかのように「倫理的な正しさが問題じゃなくて、もう愛したこと自体が苦しいのだ」という文章が本当にぴかっと頭の中に浮かんだんですね。
月華は、人の宿命というものを信じています。それは宿命だから仕方が無いという消極的な信じ方でなく、それが宿命なら宿命に挑戦して学び取って人生を豊かにしたい、という信じ方です。
執事への愛を持ってしまったことが宿命だとしたら、こうやって苦しむのも宿命。だとすれば、執事との関係がどんなものであっても、仮に倫理的に正しいものであっても、確かに苦しむ形は変わってくるだろうけれど、絶対に苦しむはず。それが宿命なのだから。愛することが宿命で、愛することが苦しむことなら、もうそれはしょうがないのじゃないか。
そう思ったら愛の苦しみ自体はちっとも減りはしなかったけれど、自分の中に受け入れることができ、表の日常生活まで影響を及ぼしそうな苦しみは消えたのです。
苦しかったのは、執事への愛への苦しみはもちろんだけれども、それを自分できちんと受け止めることができなかったからなんだな、とようやく悟りました。
今も、苦しいです。
けれど、苦しみを受け入れることができたというのは本当に果報者なのです。仏教的な話で申し訳ないのですが、苦しみはあるがままに受け入れること、という簡単な文章だけれどもどう実行すればわからないことを体得できるなんて、そうそうない幸せです。
今は本当に心から、この地に導いてくれた執事と執事に出会って愛せた宿命に感謝しているのです。繰り返しますが、苦しいは苦しいですよ。
以前から、月華は執事はかけがえがなくそれは未来永劫そうだ、と断言していましたが、今の境地から見たら口先だけだなぁなんて思います。
また、いろんな試練があって、そのたびごとに「あのときまだまだだったくせに」と思うことが度々あるとは思います。
ですが、今、少しステージが上がった段階でやはり言っておくべきだと思いました。
昔の月華の覚悟はまだまだちゃちかった。もっと深い意味で、深い気持ちで、執事は永遠に月華の執事だと、形はどう変わろうとそう断言する気持ちに変わりは無いと、改めてここに明言します。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
またお邪魔致します。
私も苦しいです。
二人の関係性を考えれば考える程に。(私とペット)
メビウスの輪にまた捕まってしまったと一人でぐるぐると思い悩んだりも致しますしw
けれどそんなに苦しいまでに愛しいと思える♂と巡り合えた幸せを忘れてはいけないと思ってもいるのです。
私も苦しいです。
二人の関係性を考えれば考える程に。(私とペット)
メビウスの輪にまた捕まってしまったと一人でぐるぐると思い悩んだりも致しますしw
けれどそんなに苦しいまでに愛しいと思える♂と巡り合えた幸せを忘れてはいけないと思ってもいるのです。
ここにいらっしゃる方は基本的にこのメビウスの輪にはまってらっしゃいます。
幸せとは苦しみと紙一重。
苦しみが大きいほど、喜びの大きいのだと信じているのですが、苦しい最中って幸せを忘れてしまう、ダメダメっぷりです。
幸せとは苦しみと紙一重。
苦しみが大きいほど、喜びの大きいのだと信じているのですが、苦しい最中って幸せを忘れてしまう、ダメダメっぷりです。
□ Home □