お読みください
少し前にM女性さんまたはS男性さんのブログにて、「苦痛を与える際に拘束するかしないかの違い」について言及が多かったことがあった。月華もすごく参加したくてうずうずしていたのだけど、ミスの後始末に追われ、それどころではなくここまで来てしまった。
わざわざ解説するまでもなく、拘束すれば被虐感をあおることになるだろうし、拘束しなければMもしくは従の決意の程がためされる、というところで、苦痛を与えるのが背面か腹面かでまたスイッチの入り方がちがう、ということだろう。
だけど、苦痛を受けるのがM男性だったら?
以前から言っているとおり、Mと男性(Sと女性もしかり)の組み合わせは生物学的?肉体的な大きな矛盾を抱えている。攻撃する性なのに、受けないと発動しない欲情。ここに、「拘束されるされない」が、M女性のそれよりも重要な意味を持つときがある。
わざわざ解説するまでもなく、拘束すれば被虐感をあおることになるだろうし、拘束しなければMもしくは従の決意の程がためされる、というところで、苦痛を与えるのが背面か腹面かでまたスイッチの入り方がちがう、ということだろう。
だけど、苦痛を受けるのがM男性だったら?
以前から言っているとおり、Mと男性(Sと女性もしかり)の組み合わせは生物学的?肉体的な大きな矛盾を抱えている。攻撃する性なのに、受けないと発動しない欲情。ここに、「拘束されるされない」が、M女性のそれよりも重要な意味を持つときがある。
もちろん、M男性自身の個人差もある。対峙するS女性の好みもある。
これから展開する月華たちの例だと、執事はM男性だがM女性(女装)の経験もある。この経験の有無は大きな影響あるだろうし、自分の確固たる好みよりも状況への臨機応変な対応を好む月華という思考回路も無視できないファクターだと思う。
だからすべて、とは言わないけれど、事例としてそれがはっきりと存在していて、傾向としてもそういう側面が強いのではないかと個人的に推測する。
という前提の下で。
ごく大雑把に言えば、執事は、被虐感や羞恥といった非常に女性らしさを示すポイントを刺激すると頭で達し、痛みをぐっとこらえさせる責めに走るとノーマルに体で達する。
被虐感を中心とした責めの快感の中心は、女性的な快感。
月華は女なので断言はしにくいけれど、女性を達しさせた経験があるので、そのときの反応と照らし合わせて考えるとそう思う。
受身の快感で、そして快感が体全体に拡散していく、男性にとっては不思議な快感を受け取るのだと思う。
ただ、通常それが女性的なものであることは男性は知らないものだから、なかなかその快感を隅々まで味わいつくすほどの回路はそうそう生まれない。が、執事の場合はM女性の経験があるためか、普通よりその回路を作りやすい素地があったと思う。だから、羞恥をあおると頭で達するのだろうと思う。
対して、痛みをこらえさせる責めを加えると、痛みを一点でぐっと我慢するせいか、快感がどこか一箇所にたまるらしい。つまり男性の生理的な欲求に非常に近い感覚があるため、こちらの責めをするとノーマルに身体で達するように見える。
実は、自分の意識では同じように責めているつもりでも、頭で達してしまったり身体で達してしまったりと最終結果が違うことに終わることがままあり、その差がどこにあるか実は密かに考えていた。
拘束して、洋服を切り裂くような今まではやっていなかったような責めをするようになり、その結果上記のようなことをぼんやりとつかみ出した。
そんな折、「今まで感じたことのないような」羞恥を感じて達した執事は、後になって
頭で達するときは拡散する快感、
身体で達するときは快感が一点に集中する。
ということを言っていたので、月華が外側からみた感覚とそう大差はないんじゃないかな、と思う。
そこで、拘束である。
月華は基本、拘束を好んでこなかった。縛るのが下手という実用的な?理由もさることながら、「拘束して無理やり」じゃなくて「自らの意志で」苦痛を受ける姿勢を好んでいたから、自然拘束にこだわりがなくなる。
けれど、執事との関係が進むにつれて「苦痛を与えて放置されているのを冷ややかに眺める」という妄想も芽生えるようになった。
やってみたらば想像以上に面白い。
結局、最初に書いたとおりの「自分の好みより状況優先」の月華の特性がここで発揮されまくってしまった。
被虐感をあおったり羞恥責めをするタイプではなく苦痛を与えて喜ぶタイプのはずだった。拘束したら苦痛を与えたかったはず、だけれど、拘束して執事が被虐感や羞恥で昂ぶっているのを見たら、うっかり「被虐感をあおり羞恥責めをする」方に傾いてしまった。
被虐感をあおり羞恥責めをするのはもちろん拘束だけではないけれど、責めの結果がどこに向かうかの一つのキー、分岐点になったような気がする。
これから展開する月華たちの例だと、執事はM男性だがM女性(女装)の経験もある。この経験の有無は大きな影響あるだろうし、自分の確固たる好みよりも状況への臨機応変な対応を好む月華という思考回路も無視できないファクターだと思う。
だからすべて、とは言わないけれど、事例としてそれがはっきりと存在していて、傾向としてもそういう側面が強いのではないかと個人的に推測する。
という前提の下で。
ごく大雑把に言えば、執事は、被虐感や羞恥といった非常に女性らしさを示すポイントを刺激すると頭で達し、痛みをぐっとこらえさせる責めに走るとノーマルに体で達する。
被虐感を中心とした責めの快感の中心は、女性的な快感。
月華は女なので断言はしにくいけれど、女性を達しさせた経験があるので、そのときの反応と照らし合わせて考えるとそう思う。
受身の快感で、そして快感が体全体に拡散していく、男性にとっては不思議な快感を受け取るのだと思う。
ただ、通常それが女性的なものであることは男性は知らないものだから、なかなかその快感を隅々まで味わいつくすほどの回路はそうそう生まれない。が、執事の場合はM女性の経験があるためか、普通よりその回路を作りやすい素地があったと思う。だから、羞恥をあおると頭で達するのだろうと思う。
対して、痛みをこらえさせる責めを加えると、痛みを一点でぐっと我慢するせいか、快感がどこか一箇所にたまるらしい。つまり男性の生理的な欲求に非常に近い感覚があるため、こちらの責めをするとノーマルに身体で達するように見える。
実は、自分の意識では同じように責めているつもりでも、頭で達してしまったり身体で達してしまったりと最終結果が違うことに終わることがままあり、その差がどこにあるか実は密かに考えていた。
拘束して、洋服を切り裂くような今まではやっていなかったような責めをするようになり、その結果上記のようなことをぼんやりとつかみ出した。
そんな折、「今まで感じたことのないような」羞恥を感じて達した執事は、後になって
頭で達するときは拡散する快感、
身体で達するときは快感が一点に集中する。
ということを言っていたので、月華が外側からみた感覚とそう大差はないんじゃないかな、と思う。
そこで、拘束である。
月華は基本、拘束を好んでこなかった。縛るのが下手という実用的な?理由もさることながら、「拘束して無理やり」じゃなくて「自らの意志で」苦痛を受ける姿勢を好んでいたから、自然拘束にこだわりがなくなる。
けれど、執事との関係が進むにつれて「苦痛を与えて放置されているのを冷ややかに眺める」という妄想も芽生えるようになった。
やってみたらば想像以上に面白い。
結局、最初に書いたとおりの「自分の好みより状況優先」の月華の特性がここで発揮されまくってしまった。
被虐感をあおったり羞恥責めをするタイプではなく苦痛を与えて喜ぶタイプのはずだった。拘束したら苦痛を与えたかったはず、だけれど、拘束して執事が被虐感や羞恥で昂ぶっているのを見たら、うっかり「被虐感をあおり羞恥責めをする」方に傾いてしまった。
被虐感をあおり羞恥責めをするのはもちろん拘束だけではないけれど、責めの結果がどこに向かうかの一つのキー、分岐点になったような気がする。
□ Home □