お読みください
朝には3分咲きだった並木の桜が、夕日をバックに満開になっているなど、目に見えて春を実感する季節です。
本来この季節が苦手だったのに、今はこんなにも楽しめるのは、やはりこの季節を境に、二人の関係が強く動いたからなのでしょうか。
本来この季節が苦手だったのに、今はこんなにも楽しめるのは、やはりこの季節を境に、二人の関係が強く動いたからなのでしょうか。
どうしても花見をしよう、と自分にしては珍しく強く誘ったあの時。
SとかMとかそんなことは本当にどうでもよくて、ただただ執事(とは当時は呼んではいませんでしたが)の為になることをしたい、それだけを思っていました。
花見、が一体なんの役に立つのか。
今振り返ればおかしいけれど、なんだか必死だったことを覚えています。よく考えれば、自分の方こそ発作で電車に乗れないとかのさまざまな問題を抱えていたはずなのに。
そうして始まったわたしたちの今の関係。
最初の最初はSとかMとか、シタゴコロ満載の出会いではあったけれど、もっと関係を深めたいと願った気持ちは、互いにむしろ普通に一個人としてのふれあいをしたい、というだけの気持ちだった。
ただその相手が自分が嗜好する性癖にとても合致していた、それだけのこと。そういうふうに今の主従が始まったんだなあと、改めて思い返しました。
昨年末。本当にどうなるかと思ったあの頃のメールを、今日ようやくきれいさっぱり削除できました。
こういう関係で、証拠に残るようなものは一切残さない。その信念で、一定期間を置けばサクサク削除しているのですが、どういうわけかあの時期のメールだけは消そうと何回も思いつつもなぜか消せないままでした。それがどんなに危険なことか分かりきっていても。
続くあの後にやり取りした、何ヶ月もの間のメールはサクサク消えていくのに、ぽつんと残る過去のメールの塊。
今年のまだ固い花弁の夜桜の木の下を一人で歩き、淡いピンクの向こうに透けた濃紺の空を見て、二人で夜桜を見たあの時の情景や気持ちを思い出したら、あぁもうあの塊は消せるな、とすっと納得できたのです。
今までにかけた迷惑は数知れず、これなら月華という存在はいないほうがずっと執事の為だったかもしれない。
それでも、今こうして二人が繋がっているって事は、きっとあの時の必死な気持ちは伝わったのかな、それならもうどんな過去にもこだわる必要はないな、大事なことは今、執事が支えていてくれるって事だから。
というようなことを、明文化した文章ではなくって概念として(説明は難しい)すっ、とおなかの底に収まったのです。
気が付くと、鼻の奥が少し痛くて少し目じりの視界がにじんでいて。
そしてそれは、この間執事に奉仕してもらったときに覚えた感覚と同じで、触らなくても目じりに涙がたまっていることが分かっていました。
あのときは、自分で触るまでそんなことになっているとは思わなくて、基本的に愛撫をうけてもどんなところでも「あふれちゃう」ということとは無縁の自分が、まさかそこまでになっているとは思わなくて驚いて。
あの時自分が涙したのは、きっと身体の方が先にそういうことを分かっていたから。頭で理解することのほうがきっと時間がかかっちゃったんですね。
どんなに苦しくても、いっそ身体を八つ裂きにしてと思っても、逃げずに踏ん張ってよかった。
こんな歳にもなって、桜を見ていろんなことを思って感極まって泣ける、なんて貴重な体験をできるとは思わなかった。
そんな気持ちを味わうきっかけをくれた夜桜に感謝。
SとかMとかそんなことは本当にどうでもよくて、ただただ執事(とは当時は呼んではいませんでしたが)の為になることをしたい、それだけを思っていました。
花見、が一体なんの役に立つのか。
今振り返ればおかしいけれど、なんだか必死だったことを覚えています。よく考えれば、自分の方こそ発作で電車に乗れないとかのさまざまな問題を抱えていたはずなのに。
そうして始まったわたしたちの今の関係。
最初の最初はSとかMとか、シタゴコロ満載の出会いではあったけれど、もっと関係を深めたいと願った気持ちは、互いにむしろ普通に一個人としてのふれあいをしたい、というだけの気持ちだった。
ただその相手が自分が嗜好する性癖にとても合致していた、それだけのこと。そういうふうに今の主従が始まったんだなあと、改めて思い返しました。
昨年末。本当にどうなるかと思ったあの頃のメールを、今日ようやくきれいさっぱり削除できました。
こういう関係で、証拠に残るようなものは一切残さない。その信念で、一定期間を置けばサクサク削除しているのですが、どういうわけかあの時期のメールだけは消そうと何回も思いつつもなぜか消せないままでした。それがどんなに危険なことか分かりきっていても。
続くあの後にやり取りした、何ヶ月もの間のメールはサクサク消えていくのに、ぽつんと残る過去のメールの塊。
今年のまだ固い花弁の夜桜の木の下を一人で歩き、淡いピンクの向こうに透けた濃紺の空を見て、二人で夜桜を見たあの時の情景や気持ちを思い出したら、あぁもうあの塊は消せるな、とすっと納得できたのです。
今までにかけた迷惑は数知れず、これなら月華という存在はいないほうがずっと執事の為だったかもしれない。
それでも、今こうして二人が繋がっているって事は、きっとあの時の必死な気持ちは伝わったのかな、それならもうどんな過去にもこだわる必要はないな、大事なことは今、執事が支えていてくれるって事だから。
というようなことを、明文化した文章ではなくって概念として(説明は難しい)すっ、とおなかの底に収まったのです。
気が付くと、鼻の奥が少し痛くて少し目じりの視界がにじんでいて。
そしてそれは、この間執事に奉仕してもらったときに覚えた感覚と同じで、触らなくても目じりに涙がたまっていることが分かっていました。
あのときは、自分で触るまでそんなことになっているとは思わなくて、基本的に愛撫をうけてもどんなところでも「あふれちゃう」ということとは無縁の自分が、まさかそこまでになっているとは思わなくて驚いて。
あの時自分が涙したのは、きっと身体の方が先にそういうことを分かっていたから。頭で理解することのほうがきっと時間がかかっちゃったんですね。
どんなに苦しくても、いっそ身体を八つ裂きにしてと思っても、逃げずに踏ん張ってよかった。
こんな歳にもなって、桜を見ていろんなことを思って感極まって泣ける、なんて貴重な体験をできるとは思わなかった。
そんな気持ちを味わうきっかけをくれた夜桜に感謝。
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