お読みください
前回のエントリーの続きと言うか派生と言うか仲間と言うか…です。
なんだか、忙しいわりにはいろいろ考える暇はあって、執事のエントリーを読んでからいろんなことを考えたのですね。
前回書いたようにがっくり感があったわけですが、それと同時にMという業の深さにも驚いたと言うのもあります。
なんだか、忙しいわりにはいろいろ考える暇はあって、執事のエントリーを読んでからいろんなことを考えたのですね。
前回書いたようにがっくり感があったわけですが、それと同時にMという業の深さにも驚いたと言うのもあります。
ちょうどそういうことを書いていたけれど、基本的に命令は好きではありません。Sとしての資質が足りないのかもしれないけれど、嫌がるものをさせることにはあまり萌えない。
そして、できないことをうまく誘導して、気が付くとそれが「やって当たり前のこと」として身についているのを見るのが最高のいわゆる「調教」だと思っているところがあります。
たとえば、逢瀬のときには全裸で足下に正座しなければいられないような。
たとえば、自然と責め具を月華に差し出すような。言われなくても拘束されなくても、鞭を受けるために背中を晒せるような。
そういう状態に持っていくこと。
できなかったことが、自然になること。そういうことが月華と執事の間にはとてもたくさんあったわけで、それが月華にとってはとてもうれしいことだったのですが、Mとしては足りないのかもしれなかったのですね。
やはり、追い込まれて苦しくてどうしようもなくて…という状況があって「自分を捧げている」というM的な満足感があったということなんでしょうね。その点の読みが甘かったかなと思います。
たとえば、一日一メールの義務。
昔はこれ確実に守れなかった執事ですが、今ではこの義務を課した月華の方が「日常生活大丈夫なのか?」と思うほどの徹底的な守りっぷり。
もう覚えていないかもしれないけれど、関係が始まったころとかは忙しければメールの返信は抜けていたし、基本的にたくさん書くのは月華ばかり。手代え品代え、なだめすかすような気分で一日一メールまで持ってきたのですが、今となっては、執事からのメールは必死になって要約してピンポイントで返すようにしないと倍の量が返信されるようになり…
そこまで変わった執事ですが、多分本人は辛くないと思うのです。
が、結局のところ最初は苦行だったと思うのですよね。今でこそ当たり前で、それが楽しいことですらなっていると思うのです。
楽しいこと、ではあると思うけれど、睡眠時間をそれなりに削ってがんばって書く状況は苦行だと思うのですが、執事的には「追い込まれていないぬるい」状況だったんですね。
月華的には十分と思う状況なんですが、足りないと感じる執事。
それほどまでにMというのは苦痛を欲求するのかと、月華の認識の甘さを実感しました。そっかー。甘いのか。反省点と思いつつ、悩むのは、
だけどいつかはそれすらも快感で与えてもらってると思うでしょ!
というところ。
射精管理を委ね、その苦行に耐える男性たちを評して「素直な顔を見せている」と表現していた執事ですが。
もーねー。「人のこといえる?」ってなもんです。
苦痛に耐える時の、あの素の顔。自分がどれだけ素の顔を晒しているか、そして最初の頃はどれほど取り繕った顔だったか、分かってるんでしょうか。あそこまで素を晒しておいて、まだまだというその精神。
自分のS性も十分業が深いとは思っていますが、執事のM性の業の深さを少し見くびっていたかもしれません。
現実は常に予想を超える。
現状に満足せず、常に変わっていく心って本当に大事なんだと思う瞬間でした。ちょっと最近、落ち着いていたので極めた感すらあったところですが、まだまだ全然だったですね。
気が付かせて貰えて、本当によかったと思っています。
補足。
一日一メール、馬鹿にされる方多いと思いますが、携帯のちょっとしたメールじゃなく、ブログのエントリー並みのしっかりしたりしたメールを「日常を共有しない相手(これがとても重要)」に送るのって本当にしんどいですよ。馬鹿にした人、ためしに月華と毎日テキストだけで10kサイズのメール交換してみます?辛いですよ、多分。
それだけの分量のメールを書こうと思ったら、日ごろから相手の事を考え続けないと書けません。日常を共有していないわけだから、共通の話題なんてないわけですよ。互いのSMの妄想なんて一ヶ月もやってりゃ終わりますし。押し付けがましくなく不快な気持ちにさせない長いメールって、才能があるか相手のことを本当に思っていなければ無理です。
そして、できないことをうまく誘導して、気が付くとそれが「やって当たり前のこと」として身についているのを見るのが最高のいわゆる「調教」だと思っているところがあります。
たとえば、逢瀬のときには全裸で足下に正座しなければいられないような。
たとえば、自然と責め具を月華に差し出すような。言われなくても拘束されなくても、鞭を受けるために背中を晒せるような。
そういう状態に持っていくこと。
できなかったことが、自然になること。そういうことが月華と執事の間にはとてもたくさんあったわけで、それが月華にとってはとてもうれしいことだったのですが、Mとしては足りないのかもしれなかったのですね。
やはり、追い込まれて苦しくてどうしようもなくて…という状況があって「自分を捧げている」というM的な満足感があったということなんでしょうね。その点の読みが甘かったかなと思います。
たとえば、一日一メールの義務。
昔はこれ確実に守れなかった執事ですが、今ではこの義務を課した月華の方が「日常生活大丈夫なのか?」と思うほどの徹底的な守りっぷり。
もう覚えていないかもしれないけれど、関係が始まったころとかは忙しければメールの返信は抜けていたし、基本的にたくさん書くのは月華ばかり。手代え品代え、なだめすかすような気分で一日一メールまで持ってきたのですが、今となっては、執事からのメールは必死になって要約してピンポイントで返すようにしないと倍の量が返信されるようになり…
そこまで変わった執事ですが、多分本人は辛くないと思うのです。
が、結局のところ最初は苦行だったと思うのですよね。今でこそ当たり前で、それが楽しいことですらなっていると思うのです。
楽しいこと、ではあると思うけれど、睡眠時間をそれなりに削ってがんばって書く状況は苦行だと思うのですが、執事的には「追い込まれていないぬるい」状況だったんですね。
月華的には十分と思う状況なんですが、足りないと感じる執事。
それほどまでにMというのは苦痛を欲求するのかと、月華の認識の甘さを実感しました。そっかー。甘いのか。反省点と思いつつ、悩むのは、
だけどいつかはそれすらも快感で与えてもらってると思うでしょ!
というところ。
射精管理を委ね、その苦行に耐える男性たちを評して「素直な顔を見せている」と表現していた執事ですが。
もーねー。「人のこといえる?」ってなもんです。
苦痛に耐える時の、あの素の顔。自分がどれだけ素の顔を晒しているか、そして最初の頃はどれほど取り繕った顔だったか、分かってるんでしょうか。あそこまで素を晒しておいて、まだまだというその精神。
自分のS性も十分業が深いとは思っていますが、執事のM性の業の深さを少し見くびっていたかもしれません。
現実は常に予想を超える。
現状に満足せず、常に変わっていく心って本当に大事なんだと思う瞬間でした。ちょっと最近、落ち着いていたので極めた感すらあったところですが、まだまだ全然だったですね。
気が付かせて貰えて、本当によかったと思っています。
補足。
一日一メール、馬鹿にされる方多いと思いますが、携帯のちょっとしたメールじゃなく、ブログのエントリー並みのしっかりしたりしたメールを「日常を共有しない相手(これがとても重要)」に送るのって本当にしんどいですよ。馬鹿にした人、ためしに月華と毎日テキストだけで10kサイズのメール交換してみます?辛いですよ、多分。
それだけの分量のメールを書こうと思ったら、日ごろから相手の事を考え続けないと書けません。日常を共有していないわけだから、共通の話題なんてないわけですよ。互いのSMの妄想なんて一ヶ月もやってりゃ終わりますし。押し付けがましくなく不快な気持ちにさせない長いメールって、才能があるか相手のことを本当に思っていなければ無理です。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
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私も嫌がる事を無理強いするのは弱いです(笑)
だからと言ってペットの全てに迎合するという訳ではないのですが。こちらも貪欲ならあちらもそれを飲み込む化け物と思って対峙しておりますが、進化し続けたらとんでもないモノになってしまうのではないかしらと思いつつ(笑)、私も頑なにならず柔軟に新しい事柄も取り込もうと思っております。
だからと言ってペットの全てに迎合するという訳ではないのですが。こちらも貪欲ならあちらもそれを飲み込む化け物と思って対峙しておりますが、進化し続けたらとんでもないモノになってしまうのではないかしらと思いつつ(笑)、私も頑なにならず柔軟に新しい事柄も取り込もうと思っております。
そうそう、進化し続けたらとんでもないものになりそうなんです、わたしたちも(^^)。
大変なんですが、でも無理せず楽しくちょっとずつ変わっていけるといいなと思うのエス。
大変なんですが、でも無理せず楽しくちょっとずつ変わっていけるといいなと思うのエス。
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