お読みください
ふと、「S女だって自分の下僕と性交渉を持っていたっていいじゃないか」という主義であることを明文化したことがあるかな?と思ってみて…ないような気がしてきました。クローズ制ブログで書いたこともあるような気がしたけれど、ちょっと探したけどなかったような…示唆するエントリーはありましたが。
SMと性交渉の間には微妙な問題があると思います。
SMと性交渉は別物とされる方たちも多い。さらに、S女性M男性の組み合わせの場合になると、そう定義する人たちの数が飛躍的に跳ね上がります。
ほそぼそと執事との間だけでSMやっていたところからブログという場でいろんな方と交流するようになってに気になったのは、そこでした。今となっては「ありですが、なにか?」と開き直るほどになってますけれど。
SMと性交渉の間には微妙な問題があると思います。
SMと性交渉は別物とされる方たちも多い。さらに、S女性M男性の組み合わせの場合になると、そう定義する人たちの数が飛躍的に跳ね上がります。
ほそぼそと執事との間だけでSMやっていたところからブログという場でいろんな方と交流するようになってに気になったのは、そこでした。今となっては「ありですが、なにか?」と開き直るほどになってますけれど。
月華の場合は、欲張りと言うかいたってシンプルです。
とにかく、強い快感を得たいというそれだけ。
月華にとってのSMとは、それまでノーマルな関係では得にくかった強い絶頂感を得ることができるツール、でした。ツール、というほどですからそんなに渇望していたものではありません。
SMに魅せられて放浪した挙句、と言うよりは、ノーマルな関係になじめなくてさまよった末たどり着いた、というべき場所。
ちょっと温度差があってもしょうがないのかもしれません。
ですが、もともと持っていた「愛した者は破壊したい」「誰にもどんな状況でも負けたくない」という性質が、サディズムという性的行動様式にぴたりとはまりました。
昨年の初夏に、クローズ制ブログで(このブログの誕生前)「どんなにひどい扱いを受けようとも、女としての月華の存在を求めてやまないことを相手に要求すること」が月華のサディズムの根っこだと書きました。
どんなにひどいことを言われようとも、痛めつけられようとも、それでも「お慕いするのは月華様ただ一人です」と言うこと。言葉で言うだけでなく、行動で示すこと。
そこまでされて月華のサディズムは満たされるのです。
今までは、「だから最後が性交渉になるのは当たり前だ」という理論を持っていました。
でも。
月華の理性が効く間は、執事が月華を求める行為は「性交渉を求める」ということになるでしょう。女としての月華を求めてやまない、事を示すのに一番相応しい行動ですから。
でも万が一、月華が理性を失ったら…おそらく、執事は行動に移したくても移せないほど傷つけられ、弱っていることになる、と思うのです。
そこまで弱ったあとなら、ただ月華を求めて冷え切った手を伸ばす、それだけの行為でも強烈に満足できそうな気がするのです。
多分。
以前にも一度書きましたが、小説『OUT』のラストシーン、男女が殺しあいながら性交渉を行って分かり合っていくシーン、まさにそれが自分のサディズムを満足させられる究極じゃないかとすら思うのです(ただし、小説の設定とは男女が逆になる必要があり)。
相手の血まみれになって、相手と一体化して、桃源の果てまで。
その狂気が分かる、と言うこと自体ちょっと自分が怖いと思うのですが。
男性の性衝動は、射精によって打ち止めです。それは性癖に関係なくそうですね。
翻って女性は、何回達そうが終わりじゃない。だから、際限なく責めて責めて、歓びを感じ続けることもできるのだと思います。実際、それができるとおっしゃるS女性もいらっしゃるでしょう。
だけど月華の場合は、女で何回でも歓びを感じ続けることができる体の仕組みを持っているにもかかわらず、性交渉で強制的に快楽を打ち止め、となることを望んでいる側面もあるのだと、最近思うようになりました。打ち止め、となったら男性のようにすべてが終わりと言うわけでもありませんが、それでも多少はテンションが落ちますから冷却できます。
でなければ、継続する関係が結べませんから。
と、なんだかややこしく書いてしまいましたが、普段からそんなに狂気がどうのとかは当然なくて、苦しませてそれでも女としての月華を求められてとても幸せで、とそれが普通です。
それ以上の狂気は、サディズムの最奥に封印している闇です。
ちょっと、今回はイロイロ思うところがあって、奥に潜む闇を覗いてエントリーにしてみました。
※なお「性交渉あり」は月華自身の主義であって、人様に強要しようなどとは微塵も思っていません。ただ、共感できると言う人が見つかるとうれしいなと思うだけです。
とにかく、強い快感を得たいというそれだけ。
月華にとってのSMとは、それまでノーマルな関係では得にくかった強い絶頂感を得ることができるツール、でした。ツール、というほどですからそんなに渇望していたものではありません。
SMに魅せられて放浪した挙句、と言うよりは、ノーマルな関係になじめなくてさまよった末たどり着いた、というべき場所。
ちょっと温度差があってもしょうがないのかもしれません。
ですが、もともと持っていた「愛した者は破壊したい」「誰にもどんな状況でも負けたくない」という性質が、サディズムという性的行動様式にぴたりとはまりました。
昨年の初夏に、クローズ制ブログで(このブログの誕生前)「どんなにひどい扱いを受けようとも、女としての月華の存在を求めてやまないことを相手に要求すること」が月華のサディズムの根っこだと書きました。
どんなにひどいことを言われようとも、痛めつけられようとも、それでも「お慕いするのは月華様ただ一人です」と言うこと。言葉で言うだけでなく、行動で示すこと。
そこまでされて月華のサディズムは満たされるのです。
今までは、「だから最後が性交渉になるのは当たり前だ」という理論を持っていました。
でも。
月華の理性が効く間は、執事が月華を求める行為は「性交渉を求める」ということになるでしょう。女としての月華を求めてやまない、事を示すのに一番相応しい行動ですから。
でも万が一、月華が理性を失ったら…おそらく、執事は行動に移したくても移せないほど傷つけられ、弱っていることになる、と思うのです。
そこまで弱ったあとなら、ただ月華を求めて冷え切った手を伸ばす、それだけの行為でも強烈に満足できそうな気がするのです。
多分。
以前にも一度書きましたが、小説『OUT』のラストシーン、男女が殺しあいながら性交渉を行って分かり合っていくシーン、まさにそれが自分のサディズムを満足させられる究極じゃないかとすら思うのです(ただし、小説の設定とは男女が逆になる必要があり)。
OUT(アウト) 桐野 夏生 (1997/07) 講談社 この商品の詳細を見る |
相手の血まみれになって、相手と一体化して、桃源の果てまで。
その狂気が分かる、と言うこと自体ちょっと自分が怖いと思うのですが。
男性の性衝動は、射精によって打ち止めです。それは性癖に関係なくそうですね。
翻って女性は、何回達そうが終わりじゃない。だから、際限なく責めて責めて、歓びを感じ続けることもできるのだと思います。実際、それができるとおっしゃるS女性もいらっしゃるでしょう。
だけど月華の場合は、女で何回でも歓びを感じ続けることができる体の仕組みを持っているにもかかわらず、性交渉で強制的に快楽を打ち止め、となることを望んでいる側面もあるのだと、最近思うようになりました。打ち止め、となったら男性のようにすべてが終わりと言うわけでもありませんが、それでも多少はテンションが落ちますから冷却できます。
でなければ、継続する関係が結べませんから。
と、なんだかややこしく書いてしまいましたが、普段からそんなに狂気がどうのとかは当然なくて、苦しませてそれでも女としての月華を求められてとても幸せで、とそれが普通です。
それ以上の狂気は、サディズムの最奥に封印している闇です。
ちょっと、今回はイロイロ思うところがあって、奥に潜む闇を覗いてエントリーにしてみました。
※なお「性交渉あり」は月華自身の主義であって、人様に強要しようなどとは微塵も思っていません。ただ、共感できると言う人が見つかるとうれしいなと思うだけです。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
やっぱりこちらにもコメントさせていただきます。
性交渉の喜びは、本当にいろいろな側面があるのですね。私も、月華さんのエントリーを読んで考えさせられました。
私も同じような闇を持っています。
でも、それは持ってしまった以上仕方が無いこと、それと上手く付き合う当事者は自分でしかありません。
だから、自分の足で歩けるような方法を見つける。その結果が、性交渉であるのなら、堂々としていましょうよ^^
私も、「OUT」のあの場面は、なんとも、自分の探られたくない所を掴まれたような気持ちで読みました。
性交渉の喜びは、本当にいろいろな側面があるのですね。私も、月華さんのエントリーを読んで考えさせられました。
私も同じような闇を持っています。
でも、それは持ってしまった以上仕方が無いこと、それと上手く付き合う当事者は自分でしかありません。
だから、自分の足で歩けるような方法を見つける。その結果が、性交渉であるのなら、堂々としていましょうよ^^
私も、「OUT」のあの場面は、なんとも、自分の探られたくない所を掴まれたような気持ちで読みました。
綺麗なのはデザインだけ、書いていることはこうやって結構闇だったりするので、気を使わず書き込んでくださいませ。
自分が見つけたこのやり方については、実はもう堂々としています!お気遣いありがとうございます。
一年前は怖くて怖くて、この主義はほのめかす程度で終わっていたので(なので今頃性交渉あり主義の明文化なんかしているんですね)、これでも進歩しているみたいです。
今はまだ少数かもしれないけれど、主従だけどやってます、それはこういう考えなんですって「言える人から言わないと」という変な使命感?に駆られて書いております。
※エントリーに追記いれました。
自分が見つけたこのやり方については、実はもう堂々としています!お気遣いありがとうございます。
一年前は怖くて怖くて、この主義はほのめかす程度で終わっていたので(なので今頃性交渉あり主義の明文化なんかしているんですね)、これでも進歩しているみたいです。
今はまだ少数かもしれないけれど、主従だけどやってます、それはこういう考えなんですって「言える人から言わないと」という変な使命感?に駆られて書いております。
※エントリーに追記いれました。
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