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一度は深い関係を結ぶまい、と決めたのにもかかわらず、何年も後になって結局その決意を貫き通すことができなくなってしまった。
であれば、「都合のいい女」でいよう、それだけは守ろう、と思ったはずの一年半前のあの日。
結局その誓いも守れず、むしろ執事を振り回す女となって、今に至ります。
であれば、「都合のいい女」でいよう、それだけは守ろう、と思ったはずの一年半前のあの日。
結局その誓いも守れず、むしろ執事を振り回す女となって、今に至ります。
「都合のいい女」とは求められた時にSM行為を楽しみ、自分への恋愛類似感情を求めない、自分もそれを見せたりしないで済ませられる女、と定義していました。
簡単に言えば「好いた惚れたは御法度、単に苦痛を与えて喜ぶだけ」に徹しようということ。
執事の立場を悪くしない為、と聞こえのいいことを言うこともできるけど、でも多分、そうしようと決めた理由の大半は「都合のいい女でいないと自分辛い」からだったと思う。
けれど、「主としての気持ち」と「女の色恋の気持ち」はどうしたって密接で、主としての感情が強くなるほど、色恋な気持ちも無視できないほど強くなって、うまくバランスを取ることができなくなった。
巷にあふれるありふれた婚外恋愛万歳のようなことは言いたくない、と強く思えば思うほどそんな感情が吹き出す。
そのコントロールがうまくできなかったのが秋と年末のごたごたでした。
特に、あんまりにも恥ずかしいので密かにスルーしてきましたが、執事に迷惑をかけたくないから水底に沈むとか言っておきつつ、結局すべてを執事にぶちまけた年末。
よくもまぁ、あれだけのことを言われてされて、「ご主人様がそんな人だとは思いませんでした」とあきれられなかったよな、と思うほどのことを、実は実はしていたのです。いまさらながらの懺悔。
どっちがよかったのかなんて、そんなの死ぬまで分かりません。
結果として、もしかしたら都合のいい女でいた方がよかったかもしれない。
でも、いろんな事を越えてきて思うのです。
都合のいい女でい続けなくてよかったと。
気持ちに一線を引いておきながら「主」として存在することはできません。いや、できるかもしれないけれど、それは真の主従の醍醐味は諦めなければいけないものだと思います。
諦めるべきこと、諦めなくてもいいこと、それを見極めるのはまだとても困難ですけれども、都合のよい女の呪縛から開放されてようやく、真の意味で主となれました。
いや、もしかしたら今まで思っていた都合のいい女、の方がまやかしで、今の自分が正しく(という言い方も変ですが)都合のいい女かもしれません。それは、一般的に思われている女にしかデメリットがない関係ではなく、お互いにとってメリットが大きい立ち位置です。
そういう意味では、執事は月華にとって「都合のいい男」ですから。
昨年は、都合のいい女でいようと思うあまり、あげたいとは口も裂けても言えなかったバレンタインのチョコレート。運のよさにより渡すことができましたけれども、今年はそんな運のよさに頼ることなく、堂々とバレンタインのチョコを受け取る為に時間を作るよう言うことができました。
「都合のいい女」であり続けることはできなかったけど、それでもできない我慢をするよりも、できる範囲での「都合のよさ」がとても心地いいと思うのです。倫理的には失格と言うことは重々承知です。
簡単に言えば「好いた惚れたは御法度、単に苦痛を与えて喜ぶだけ」に徹しようということ。
執事の立場を悪くしない為、と聞こえのいいことを言うこともできるけど、でも多分、そうしようと決めた理由の大半は「都合のいい女でいないと自分辛い」からだったと思う。
けれど、「主としての気持ち」と「女の色恋の気持ち」はどうしたって密接で、主としての感情が強くなるほど、色恋な気持ちも無視できないほど強くなって、うまくバランスを取ることができなくなった。
巷にあふれるありふれた婚外恋愛万歳のようなことは言いたくない、と強く思えば思うほどそんな感情が吹き出す。
そのコントロールがうまくできなかったのが秋と年末のごたごたでした。
特に、あんまりにも恥ずかしいので密かにスルーしてきましたが、執事に迷惑をかけたくないから水底に沈むとか言っておきつつ、結局すべてを執事にぶちまけた年末。
よくもまぁ、あれだけのことを言われてされて、「ご主人様がそんな人だとは思いませんでした」とあきれられなかったよな、と思うほどのことを、実は実はしていたのです。いまさらながらの懺悔。
どっちがよかったのかなんて、そんなの死ぬまで分かりません。
結果として、もしかしたら都合のいい女でいた方がよかったかもしれない。
でも、いろんな事を越えてきて思うのです。
都合のいい女でい続けなくてよかったと。
気持ちに一線を引いておきながら「主」として存在することはできません。いや、できるかもしれないけれど、それは真の主従の醍醐味は諦めなければいけないものだと思います。
諦めるべきこと、諦めなくてもいいこと、それを見極めるのはまだとても困難ですけれども、都合のよい女の呪縛から開放されてようやく、真の意味で主となれました。
いや、もしかしたら今まで思っていた都合のいい女、の方がまやかしで、今の自分が正しく(という言い方も変ですが)都合のいい女かもしれません。それは、一般的に思われている女にしかデメリットがない関係ではなく、お互いにとってメリットが大きい立ち位置です。
そういう意味では、執事は月華にとって「都合のいい男」ですから。
昨年は、都合のいい女でいようと思うあまり、あげたいとは口も裂けても言えなかったバレンタインのチョコレート。運のよさにより渡すことができましたけれども、今年はそんな運のよさに頼ることなく、堂々とバレンタインのチョコを受け取る為に時間を作るよう言うことができました。
「都合のいい女」であり続けることはできなかったけど、それでもできない我慢をするよりも、できる範囲での「都合のよさ」がとても心地いいと思うのです。倫理的には失格と言うことは重々承知です。
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