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ちょっとネットをさまよえばエスエムに関することなんて掃いて捨てるほどあって、本当に情報がたくさんの時代になりました。と、しみじみ語るほど何かをしてきたわけではないのですが、それでもネット黎明期から知っているとそう思います。でも、自分がどういう性的嗜好を持っているのか分からなかったあの時期に、今ほどに情報があれば早く解答にたどり着けたのに、と思うことはあります。月華のレベルでも。
ただやはり、物事にメリットがあればデメリットがあるように、情報が多すぎるからこそ自分の足元を見失いやすい危険があるように思います。
自分自身のことでいえば、他の人の情報にたくさん触れてしまったがゆえに、「Sとしてのあり方が多くのそれとは違う」ことに長い間苦しめられました。
月華のありようが相当変わっていることは、このブログを通してみれば多分簡単に分かることと思います。
月華よりこの世界のネットで彷徨ってきた執事が「今までにない感じですよね」と言うぐらいなので、そうなのじゃないかと思う、という主観なんですが。
ただやはり、物事にメリットがあればデメリットがあるように、情報が多すぎるからこそ自分の足元を見失いやすい危険があるように思います。
自分自身のことでいえば、他の人の情報にたくさん触れてしまったがゆえに、「Sとしてのあり方が多くのそれとは違う」ことに長い間苦しめられました。
月華のありようが相当変わっていることは、このブログを通してみれば多分簡単に分かることと思います。
月華よりこの世界のネットで彷徨ってきた執事が「今までにない感じですよね」と言うぐらいなので、そうなのじゃないかと思う、という主観なんですが。
男の都合を一切顧みずおもちゃのように弄び、傲然と命令をする容姿端麗な女性。
あまりにもステレオタイプに過ぎるのかもしれませんが、女王様というのはそうであるべき人なんだと思っていました。
ところが自分ときた日には、弄ぶことはできても男の都合を一切顧みないなんて事はできないし、命令なんて柄じゃないし、容姿端麗なんて言わずもがな(執事ビジョンを除く:笑)。
人によっては月華の接し方は“女王”にあらず、と言う人はいるでしょう。しかもたくさん。
※それに対する月華の回答は「“姫”だから当たり前」です。すごい開き直りですが。
主従の関係を結ぶことより、自分のこのあり方でいいのかという懊悩の方がよほど深かったように思います。
けれど、今にして思えばステレオタイプに遠いことを悩む必要はちっともなかったと思うのです。
SMのあり方は二人の間で合意されていて心地よければ、どんな形でもいいのだとようやく思うようになりました。
主なんだからSなんだからこうあるべき、Mなんだから従なんだからこうあらねばならない。
そういうことなんて、実は一つもなかったんです。二人で合意してそれが心地よければそれが一番。
抽象的な話をしても分かりにくいなので、一つだけ「命令なんて柄じゃない」という具体例。
SとかMとか以前に、自分の基本的な人となりとして「人に命令」は柄じゃないのですね。
まれにスイッチが入れば切り替われる人もいるかもしれませんが、月華にはそれは無理でした。どうしても言われないと、ねだられないと、という姿勢を変えることができなかったのです。そしてその姿勢が、二人の関係を進める際の大きな障壁にもなってしまったのですが…
実際、執事に直接指摘されたこともあります。「~なさい」と命令されることはありませんね、と。
やっぱり気がついていたか、と冷や汗をかきながらも、それでもこの姿勢を変えませんでした。と言うより変えられませんでした。
「命じたことをしてくれることには萌えないから」
そう説明することが精一杯。その説明は事実で、して欲しいことをどうしようもなくねだってしまう姿に萌えるのも本当で、だからして欲しいことをできるだけ言って欲しい。
けれど、世の中で「S女」といえば「足をお舐めっ!」と言い放つというイメージがある以上、これじゃいけないだろうと思い、変わろうと思いつつけれど変えられないことが申し訳なく、本当に悩みました。
そして、今にして思えばと言うレベルで本当に申し訳ないな、と思っているのですが、執事は執事で命令されないことについての戸惑いも大きかっただろうな、と思い至っています。
執事は執事で、「おねだりするのはダメなM(または従)」という観念があったでしょうから。
それでも、わたしたちは互いの「こうあるべき、ねばならぬ」の壁を少しずつ壊し、月華は強い口調でなければ命令のようなこともできるようになり(執事以外は命令と思わないに違いない)、執事も最初に比べれば随分おねだりをするようになりました。そんなアマアマな関係でSMと言わないでしょう、というタイプの人たちが多いことは分かっています。
けれど、これがわたしたちのありようで、「こうあるべき、ねばならぬ」に囚われていたときよりずっと楽しくSMができるのですから、「そうかもしれませんね、だからなに?」と言えるようになりました。
最近は月華のようなスタンスに共感してくださる方が増え、現実にそのようなタイプの方のブログも増えましたが、ほんの少し前まではステレオタイプ型のほうが多くて、月華がブログを始めるときは本当にそろそろと「片隅でいいからいさせてください」という気分だったものです。
こんなタイプでもS女の看板をかかげることができるようになってうれしいなぁ、としみじみ思うようになった最近ですが、だからこそ逆に不安になることもあります。
月華が最初のころ、ステレオタイプに囚われて自分のありように悩みぬいたように、もしかしたら月華のようなスタイルをよしとして、自分たちがそうでないことに苛立ちを覚える人も今後出てくるかもしれません。
ちょっと自惚れの強い発言かもしれませんが、いわゆる女王様タイプとしてよりも、月華のようなあり方のほうが「S女」の敷居が低い分、目標にしやすいところもあるのかなと思うところもあります。へなちょこゆえの心配です。
ながながと書いてしまいましたが、いいたいことはたった一つです。
どんな人たちにとっても、「こうあるべき、ねばならぬ」という形はありません。二人が納得できる形、それが自分たちにとってのSMの形です。人のやり方は参考まで、それをどこまでも覚えておいて欲しいと思うのです。
自分が無駄にステレオタイプに囚われすぎて無為な時間を過ごしてしまっただけに、そう思います。
ステレオタイプな女王様がよければそれでいいし、月華のような姫タイプ(←自分で言うか)がよければそれでもいい。とにかく、ねばならぬ、ということは一つもないのです。
悩むべきなのは、「ねばならない」ことではなくて、二人にとって何が心地よい形なのか、ということです。
あまりにもステレオタイプに過ぎるのかもしれませんが、女王様というのはそうであるべき人なんだと思っていました。
ところが自分ときた日には、弄ぶことはできても男の都合を一切顧みないなんて事はできないし、命令なんて柄じゃないし、容姿端麗なんて言わずもがな(執事ビジョンを除く:笑)。
人によっては月華の接し方は“女王”にあらず、と言う人はいるでしょう。しかもたくさん。
※それに対する月華の回答は「“姫”だから当たり前」です。すごい開き直りですが。
主従の関係を結ぶことより、自分のこのあり方でいいのかという懊悩の方がよほど深かったように思います。
けれど、今にして思えばステレオタイプに遠いことを悩む必要はちっともなかったと思うのです。
SMのあり方は二人の間で合意されていて心地よければ、どんな形でもいいのだとようやく思うようになりました。
主なんだからSなんだからこうあるべき、Mなんだから従なんだからこうあらねばならない。
そういうことなんて、実は一つもなかったんです。二人で合意してそれが心地よければそれが一番。
抽象的な話をしても分かりにくいなので、一つだけ「命令なんて柄じゃない」という具体例。
SとかMとか以前に、自分の基本的な人となりとして「人に命令」は柄じゃないのですね。
まれにスイッチが入れば切り替われる人もいるかもしれませんが、月華にはそれは無理でした。どうしても言われないと、ねだられないと、という姿勢を変えることができなかったのです。そしてその姿勢が、二人の関係を進める際の大きな障壁にもなってしまったのですが…
実際、執事に直接指摘されたこともあります。「~なさい」と命令されることはありませんね、と。
やっぱり気がついていたか、と冷や汗をかきながらも、それでもこの姿勢を変えませんでした。と言うより変えられませんでした。
「命じたことをしてくれることには萌えないから」
そう説明することが精一杯。その説明は事実で、して欲しいことをどうしようもなくねだってしまう姿に萌えるのも本当で、だからして欲しいことをできるだけ言って欲しい。
けれど、世の中で「S女」といえば「足をお舐めっ!」と言い放つというイメージがある以上、これじゃいけないだろうと思い、変わろうと思いつつけれど変えられないことが申し訳なく、本当に悩みました。
そして、今にして思えばと言うレベルで本当に申し訳ないな、と思っているのですが、執事は執事で命令されないことについての戸惑いも大きかっただろうな、と思い至っています。
執事は執事で、「おねだりするのはダメなM(または従)」という観念があったでしょうから。
それでも、わたしたちは互いの「こうあるべき、ねばならぬ」の壁を少しずつ壊し、月華は強い口調でなければ命令のようなこともできるようになり(執事以外は命令と思わないに違いない)、執事も最初に比べれば随分おねだりをするようになりました。そんなアマアマな関係でSMと言わないでしょう、というタイプの人たちが多いことは分かっています。
けれど、これがわたしたちのありようで、「こうあるべき、ねばならぬ」に囚われていたときよりずっと楽しくSMができるのですから、「そうかもしれませんね、だからなに?」と言えるようになりました。
最近は月華のようなスタンスに共感してくださる方が増え、現実にそのようなタイプの方のブログも増えましたが、ほんの少し前まではステレオタイプ型のほうが多くて、月華がブログを始めるときは本当にそろそろと「片隅でいいからいさせてください」という気分だったものです。
こんなタイプでもS女の看板をかかげることができるようになってうれしいなぁ、としみじみ思うようになった最近ですが、だからこそ逆に不安になることもあります。
月華が最初のころ、ステレオタイプに囚われて自分のありように悩みぬいたように、もしかしたら月華のようなスタイルをよしとして、自分たちがそうでないことに苛立ちを覚える人も今後出てくるかもしれません。
ちょっと自惚れの強い発言かもしれませんが、いわゆる女王様タイプとしてよりも、月華のようなあり方のほうが「S女」の敷居が低い分、目標にしやすいところもあるのかなと思うところもあります。へなちょこゆえの心配です。
ながながと書いてしまいましたが、いいたいことはたった一つです。
どんな人たちにとっても、「こうあるべき、ねばならぬ」という形はありません。二人が納得できる形、それが自分たちにとってのSMの形です。人のやり方は参考まで、それをどこまでも覚えておいて欲しいと思うのです。
自分が無駄にステレオタイプに囚われすぎて無為な時間を過ごしてしまっただけに、そう思います。
ステレオタイプな女王様がよければそれでいいし、月華のような姫タイプ(←自分で言うか)がよければそれでもいい。とにかく、ねばならぬ、ということは一つもないのです。
悩むべきなのは、「ねばならない」ことではなくて、二人にとって何が心地よい形なのか、ということです。
読んでくださってありがとうございます。
ご意見がありましたらどうぞ。
ご意見がありましたらどうぞ。
こんばんは
月華さんのこのエントリー、まさに私が以前悩んでた事なんです。
でも、私たちは私たち!!
そう思えるようになったのはとある女王様からのアドバイスでした。
女王様を本業にされていた方からのそのアドバイスは私には目からうろこ、青天の霹靂でした。
以来、誰になんと言われようと私たち2人が合意して、二人が気持ちよいなら、それが私たちのSMなんだと思えるようになりました。
同じ考えの持っておられるかたとお友達でいるってことは嬉しい事です。
月華さんのこのエントリー、まさに私が以前悩んでた事なんです。
でも、私たちは私たち!!
そう思えるようになったのはとある女王様からのアドバイスでした。
女王様を本業にされていた方からのそのアドバイスは私には目からうろこ、青天の霹靂でした。
以来、誰になんと言われようと私たち2人が合意して、二人が気持ちよいなら、それが私たちのSMなんだと思えるようになりました。
同じ考えの持っておられるかたとお友達でいるってことは嬉しい事です。
激しく頷いて同意致します^^
私も素敵な女王様からの助言で目が覚めました(笑)
子供の時から「私は私」という子供だったのに肝心なところで多勢の中に居たいと思う事が間違いなのよねという事も改めて痛感してもいます。
私も素敵な女王様からの助言で目が覚めました(笑)
子供の時から「私は私」という子供だったのに肝心なところで多勢の中に居たいと思う事が間違いなのよねという事も改めて痛感してもいます。
私もまた、ステレオタイプのM女さんに、コンプレックスを抱いております。
しかも、まさに最近。
パートナーとの長い付き合いの中で作り上げた関係で本人たちは納得しているのですが、ブログなど始めて他の方のご意見など読むと・・
ああ。あたしぜんぜん健気じゃない。可愛くないなー、と^^;
ですので、このエントリーを読んで、またちょっとホッといたしました^^
しかも、まさに最近。
パートナーとの長い付き合いの中で作り上げた関係で本人たちは納得しているのですが、ブログなど始めて他の方のご意見など読むと・・
ああ。あたしぜんぜん健気じゃない。可愛くないなー、と^^;
ですので、このエントリーを読んで、またちょっとホッといたしました^^
私たちの場合は、プラタナスが全く未経験だったのが幸いしていたと思います。「標準」も何も知らなかったわけですから。
一方、私は、子供の頃からその手の情報を求めて彷徨ってました。(笑)
でも、性癖以前に、人に管理されるのも、人を管理するのも大嫌いでした。だからもちろん、SMが多くの人に認知され、ある種のステレオタイプが出来上がるにつれ、ずっと違和感は持っていました。
SMといっても、人の関係式なので、相手次第だとも思います。
自分らしく出来る関係を築けた相手は大切にしたいですね。
今に至った月華さんと執事さんとの関係に一輪の花を。(かっこよすぎ?・笑)
一方、私は、子供の頃からその手の情報を求めて彷徨ってました。(笑)
でも、性癖以前に、人に管理されるのも、人を管理するのも大嫌いでした。だからもちろん、SMが多くの人に認知され、ある種のステレオタイプが出来上がるにつれ、ずっと違和感は持っていました。
SMといっても、人の関係式なので、相手次第だとも思います。
自分らしく出来る関係を築けた相手は大切にしたいですね。
今に至った月華さんと執事さんとの関係に一輪の花を。(かっこよすぎ?・笑)
皆さんが「このあり方でいいのね」と思ってくださることが、書き手冥利につきます。ありがとうございます。
他の人を見て、高みを目指すことは素晴らしいことですが、それが自分の本質と離れてしまうことだけには気をつけなければいけないなと思ってます。
しかし、上に立つ側のほうが情報をあまり持っていないのは、やっぱり関係を進めるには大きい障壁でした。その点だけは、ちょっと悪かったかなーとは思います。
他の人を見て、高みを目指すことは素晴らしいことですが、それが自分の本質と離れてしまうことだけには気をつけなければいけないなと思ってます。
しかし、上に立つ側のほうが情報をあまり持っていないのは、やっぱり関係を進めるには大きい障壁でした。その点だけは、ちょっと悪かったかなーとは思います。
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